眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

花屋の花は見るためだけに使うものではない

花咲く花屋は今日も忙しい。

16時頃、お店に訪れたのは20歳後半の女性だった。スーツ姿がかっこいい。

「すいません、お花を探しているんですが」

- はい、どういうお花でしょう

「あのー。いいずらいんですが、相手を殴るための花ってありますか。花をそんな風に使うのは申し訳ないんですが、どうしても花で殴りたくて」

大丈夫です、と私は笑顔で即答しながら言うべき言葉を探す。

花って、きれいに見るだけの存在でもないんです。あなたの思いを相手に伝える道具として使われるとしたら、それはそれで花の正しい使い方なんだと思います。たとえばハーブやオイルに使われる花だって、観賞用とは別の使い方だし、菊のような食べるお花もありますよね。時には、殴るためだって使われてもいいと思うんです。それがお客様の大切な思いを伝えるための手段なら。

「ありがとうございます。仲がいい男性がいたんですが、他の女性と結婚するってわかって。だからお祝いの花として恨みをぶつけたいんです」と、少し涙を浮かべた目でお客さんは少し笑顔になる。

大丈夫だよね、と私は自分に言い聞かせる。花も、納得してくれるよね、と。ごめんね。花。でも、あなたのおかげでこのお客さんは思いを伝えられるの。

- では、殴るための花ですね。どれくらい痛みを与えますか

花屋でバイトを始めてから初めて聞く質問だな、と思いながら質問をする。

「そこそこ、へこむくらいのやつでお願いします。お値段は5000円くらいで」

花屋としての力量が問われるな、と思いながらアレンジを行う。ボリュームを出すためには、カスミソウはたくさん入れましょう。あとは、強い意思を伝えるためにも菊は入れた方がいいかもしれない。

- バラは入れますか。棘がありますが。

10秒ほど、お客さんは考えて答える。

「少しだけお願いします」

バラは花びらも舞うから視覚的にもダメージを与えやすいかもしれない、と思って、私はバラを取る。

アレンジはやっぱりティアードロップにすべきかしら。殴りやすさだとクラッチかしら。

アレンジが終わり、お会計を済ませて、いつもの質問を念のため聞いてみる。

- メッセージカードもおつけできますが、、、いらないですよね?

またお客さんは少し考える。

「大丈夫です」

- そうだ。その代わりに、この花を足させてください。

と私はハナミズキを足した。ハナミズキ花言葉は「私の想いを受けてください」だ。

返ってこないLINE

送らなければよかったかな、と反省した。

春の陽気に誘われてつい送ってしまった。LINEに取り消し機能があればいいのに。

既読の文字が肉肉しい。

「久しぶり。今度、飲まない?」

2年前の彼女に送った未練がましいメール。もう少し丁寧な送り方もあったと思う。いきなり飲みに誘わず、まずは挨拶に留めるとか。

でももう送ったものはしょうがない。ひたすら後悔をするだけだ。忘れるようにしよう。

今日もコンビニで行列に並びながら、つい返ってこないLINEをチェックする。ノンシュガーのコーヒーをレジに通す。

お金を払う。

あ、と気づく。今日は「ポイントカードをお持ちですか」の質問がない。

1年以上、毎日通って、ようやく僕へのポイントカードの確認を諦めてくれたのだろうか。「僕を理解してくれたんだ」という謎の感慨を抱く。

「聞かないことによるコミュニケーション」ってあるんだ。

そして、コーヒーを飲みながら考える。

「返信をしないコミュニケーション」もあるんだよな、と。彼女は無視をしたいわけじゃない。ただ「いきたくない」という冷たい返信もしたくないし、「忙しくて」みたいな嘘をつける子でもない。返信をしないというのが、彼女なりの誠実な返信なのかもしれない。

とはいえ、スタンプくらい返してくれたっていいのに。コンビニの店員の「ありがとうございました」と業務的な返信みたいなやつでもいいから。なんなら片言だっていい。

なんなら誤送信だっていいのに。

女性1人で牛丼屋に入れますか

平日の夜、23時ごろ、最寄り駅から帰っていると、1人の女性いた。松屋の中を覗いている。

僕は遠目からそれを見ていて「入れ」と心で念じていた。女性は、牛丼屋に1人で入りにくいと言われている。でも、食事に男女なんて関係ないわけで、できれば女性が気にせず松屋に入れる世の中であって欲しい。

そういう思いで、中をうかがう女性を心の中で後押しする。中が混んでいるのをみているのか。混んでない方が入りやすいのかな。

きっと牛丼は美味しいよ。気にせず入って。誰も気にしないから。

女性は10秒ほど悩んでいただろうか。胸中を察するに「お客さん10人くらいいるな。全員男性だな。その中に私が入っていったら浮くだろうな。笑われるかな」といったことを考えているのだろうか。

結局、その女性は松屋に入らずに、歩き始めた。

- あー。男女平等社会の敗北だ。女性が1人で牛丼屋に入れない社会になっちゃっているのだ。メアリ・ウルストンクラフトの敗北だ。

と僕は21世紀の日本に絶望した。そして、政治家への参画を2秒ほど考えた時に、まだ前を歩いているあの女性が目に入った。

そして、女性は、ぱっとそこにある店に入った。

その店は吉牛だった。

- 吉牛を食べたかったんかい

世界に借りがある

「まじか」と思わず声に出る。その声と一緒にでた息が白く濁る。

この寒さの中、こんな何もないところで自転車がパンク。これは辛い。

すっかり空気が抜けている。何かを踏んだようだ。とはいえ乗れるかな、と自転車に乗ってみるが、とてもじゃないが危険で乗れない。ふらふらする。何より自転車のホイールを痛めることになる。

昼間ならば、近くの自転車修理のお店を探すのだけれど、今は夜中の1時。どこもやってないだろう。

どうしたものか。自転車を押しながら歩く。歩いて帰ると、多分3時間はかかるだろうな。トボトボと歩きながら考える。風が寒い。辛いな、と思いつつも他の選択肢がない。次のコンビニではココアを買おうと思いながら自転車を押す。

20分ほど歩いた頃だろうか。急に横に車が止まった。思わず身構える。

しかし、窓が空いて顔を出したのは気のいいおじさんだった。

「どうした?」

自転車がパンクしたことを話すると、車に自転車を乗っけてくれるという。

少し考えたけれど、これから3時間歩いて帰ることを考えると、ありがたく甘えることにした。頭を下げると、おじさんがトランクを空ける。そして自転車と格闘しトランクに乗せる。トランクの扉は閉まらないけれど、乗っけることができた。

「こんな時間だったら警察もいないだろう」とおじさんは笑顔で言う。トランクは空いたまま、車は出発する。

車の中にのって、僕がまず聞いたことはこの質問だった。

「どうして助けてくれたんですか」と。

僕が逆なら、そんなことできないだろう。こんな夜中に、こんな場所にいる人間に声をかけるのも怖い。何より、僕の家はおじさんの家からだいぶ遠回りだ。

「僕は世界に借りがあるんだよ」とおじさんは言う。

15年以上も前のこと。おじさんは仕事の大切な打ち合わせで、ある会社に向かっていた。でも、迷子になってしまった。

当時はGoogle mapなんてなかったから、目的の建物を見つけるのは相当大変なことだった。時間は刻一刻と迫る。でも、おじさんはその場所を見つけられない。全然見つからない。どこを探したらいいのかもわからなくなってパニックになった。

焦って、周りの人に聞く。でも誰もわからない。そんな時に1人の男性が、「ああ、ここはこっちじゃないよ」と教えてくれる。少し恰幅のよい40代くらいの方だった。

そして、その男性は「ついておいで」とおじさんを案内してくれた。急いでいるのを理解して、駆け足で道案内をしてくれていた。

夏だった。スーツにワイシャツでその男性は走ってくれた。全速力に近いスピードで。

目的の場所についた頃にはおじさんも汗だくだったが、男性も汗だくだった。「がんばってね」と男性はいって、さっと去っていった。

その御蔭で、ギリギリ時間に間に合うことができた。お礼をいいたかったけれど、急いでいたので、名刺をもらうこともできなかった。

その出来事をおじさんは10年経った今でも感謝している。

「いつか、あの男性に恩返しをしたいと思う。でも、そんな簡単に出会えない。だから、僕は世界を通じて、その男性に恩を返したいと考えてるんだ。だから、僕は世界に借りがあるんだ」

僕は質問をする。

「その借りはいつ返せるんですか」

おじさんは言う。

「そうだな。15年分の利息が膨らんでるから、結構な借りになってると思うんだ。もし、それを返し終わったとしても、今度は世界に借りを作りたいから、しばらくは終わらないかもね」

僕は、おじさんに買ってもらったココアで手を温めながら考える。助手席で、自分にできた世界への借りの大きさを想像してみた。

食事は独りで?それともみんなと?

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

「独りで食事するよりも、みんなで食べた方が美味しい」なんて戯言が、世の中にまかり通っているのはなぜなんだ、とトオルが言う。

話をしながらの食事だと、食べ物の味がわからないじゃないか。あるいは、話が盛り上がっている最中だと箸を止めてしまって、食べたいベストのタイミングを逃すかもしれない。できたてのだし巻き卵が固くなっちゃうよ。

そう考えると、食事をして美味しいのは「独りの時」にきまっている。

ミチコが、手羽先を食べながら答える。

食べ物を味わうことが好きなメンバーと一緒に食事をすればいいんじゃない。そうすれば、食べたい時に食べられるし、食べている時は会話をしないで済む。お互い、空気を読んで、大切な時には喋らないんじゃない。

何より、レストランの食事だと、1品の量が多いでしょ。だから、美味しくたくさんの料理を食べるなら、たくさんの人数で行った方がいいのよ。この手羽先もそうでしょ。1人で手羽先を頼んだら、手羽先4本がきちゃうわよ。そうすると、他のご飯を食べられないでしょ。このだし巻き卵も食べられないわよ。ほら、冷めないうちに食べなさいよ。

それはそうかもしれない、とトオルは言う。でも、とビールを飲みながら続ける。

でも、たくさんの人たちで食事に行くと自分の食べたいものを選べないじゃないか。たとえば「今日は鍋を食べたい」と思っても、みんなの意見を聞く必要があるだろ。みんなが「中華いきたい!」となれば食べたくない天津飯を食べないといけない。メニューも自由には選べない。自分の嫌いなほうれん草サラダが出て来るかもしれない。

そういう時は1人で行った方がいいわね、とミチコは言う。

でも、食べたいものがあれば、自炊をすればいいんじゃない。

でもね、自炊も外食と同じよ。自分が食べるために料理をしてもつまんないのよ。誰かに食べてもらうために料理をするから楽しいし、美味しく作ろうと思えるのよ。トオルは自炊はしないからわからないかもしれないけれど。そう考えると、やっぱり食事はたくさんの人でした方が楽しいんじゃない。あとほうれん草サラダは健康にいいから食べた方がいいわよ。

トオルは考える。ミチコの言うことはわかる。でも、やっぱり思い返すと、たくさんの人といった食事で楽しんだ記憶がない。そもそも「食事を味わいたい友人」なんていないのだ。みな「飲みながら話をしたい」という人たちばかりで、食事を楽しみたいという人は少ない。だから食事を楽しみたい俺だけが浮いているのだ。

はっと気づく。もしかすると「食事をたくさんの人数で楽しめる才能」というものが世の中にはあって、ミチコはそれを持っていて、俺はそれを持っていないんじゃないか。目の前にある手羽先が減っていくのを目にしながらトオルは考える。

そうだ、とあることに気づき、トオルはミチコに聞いた。

俺は何の料理が嫌いか知っているか。

知らない。パンケーキだっけ。

その答えを聞いて、トオルは理解した。ミチコは食事中の会話を適当にしているから、食事も楽しめるのだ。人の話なんざ聞いちゃいない。適当に直前の会話に反応しているだけなんだ。俺は会話を真面目にしすぎているから食事の手が止まるし、味もわからないんだ。

そもそも、みんなは「話をしに食事にきている」と言いながら、言葉を発するという行為を楽しんでいるだけなんだ。酔っ払った時の会話を考えればいい。なにひとつ生産性のある会話をしていない。なのにやつらは、その行為を求める。

トオルは理解した。自分の食事中の会話との向き合い方が悪かったんだ。もっと適当な会話をすれば、食事をしながら楽しめるんだ。

そうそう、パンケーキ。パンケーキはもっと甘くない方がいいよね。

トオルは手羽先を食べながら喋る。そして「やっぱり食事は1人で行くべきだな」と独り納得する。

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花粉症バスターズ

ゆみちゃんが花粉症みたいだ。僕は花粉症じゃないから辛さがわからないけれど、ゆみちゃんは「つらいよー」と言っている。

だから、僕はゆみちゃんを助けようと思った。でもこっそりする。こっそりしないと恥ずかしい。それにクラスのみんながうるさいから。

それから、僕はゆみちゃんが花粉症で苦しまないように頑張った。ゆみちゃんがつかっているポケットティッシュの中身を鼻セレブにかえた。これで、鼻が少しは赤くならないといいな。

そして、窓を明けるやつはこっそりどついた。そして窓をちゃんと締めるようにした。

席替えでは、ゆみちゃんが廊下側になるように委員長にお願いした。クジなんて自由につくれるんだ。

窓側の奴らにできるだけ空気を吸い込むようにおねがいをした。あいつらが花粉を吸い込めば、ゆみちゃんまで花粉は届かないはずだ。それでも駄目な時はうちわで窓から外をあおぐようにした。そうすれば花粉が教室に入ってこないはずだ。

ゆみちゃんがくしゅんくしゅんとくしゃみしている姿もかわいいので、それは見れなくなるのは残念だけど、少しはゆみちゃんのくしゃみが減った気がした。

こうして、僕はゆみちゃんを花粉から守った。ゆみちゃんに「今年は花粉症ましだったんじゃない?」と聞いた。ゆみちゃんは「辛かったよ」といった。

- 翌年、尋常小学校の生徒(5年生)が近所の杉を切り倒しているところを近所の人に見つかり、補導された。理由を聞いても生徒は黙秘を続けている。

 

 

 

開かない息子の携帯

ニュースで、亡くなった息子さんのiPad解除がAppleに拒否されたというニュースがありました。もっとも拒否されたわけではなく色々と手続きが必要という話のようですが。

それを聞いて、それは可哀想なことですが、それでも必要な書類を用意すれば開くことができるでしょう、と思いました。私の息子の携帯は書類を用意してもみられないのです。

だから、息子がガラケーではなくiPhoneを使ってくれていたら、と思うことは何度もあります。今も、毎晩パスワードを順番に入れていっていますが、3年経った今もまだ空いていません。8桁ですから、1億通りを試さないといけないのです。

でも、いつか開くと信じています。そう思いながら毎晩パスワードを入れています。いつか息子がみていた世界を見れるのだと。

息子はあまり積極的に友達と遊ぶ子ではありませんでしから、多分、メールはあまりしていなかったんだと思います。メールも慣れていませんでした。私とメールをする時でさえ、句読点を丁寧につけていて、自分の息子ながら、微笑ましく思っていました。

どういうサイトをみていたのかわかりませんが、サッカーが好きだったのでサッカーのサイトはみていたのでしょう。あとは、写真はよく撮っていたようです。道の空き缶やマンホールの蓋など、よくわからないものを撮っていましたが、息子なりの思いがあったのでしょう。

そんな息子の思い出が詰まったガラケーがここにあります。こんな手のひらに乗る距離にあるのに、その中身を見れない。最初はそれが苦しかったのです。思わず叩いたりもしました。もし、これがノートとかならば中身を見れたのに、デジタルだからパスワードは開けないのです。

でもデジタルでもいいところもあります。最後に息子が私に送ってくれたメールを何度を何度も見返すことができます。きっとそれが紙の手紙だととっくにボロボロになっているでしょう。だからデジタルで良かったな、と思います。

息子の携帯に何が入っていると思いますか。毎晩、想像しながらパスワードを入力しています。息子の気持ちを考えると、みない方がいいのかな、とも思っています。パスワードで開いてから、そのことは考えようと思います。

今でも回線のお金は払っています。ですから、たまにメールが届きます。きっと業者からのメールだと思いますが。それでも、たまに受信をして携帯が震えるのを見ると、まだ息子が生きているように思えるのです。

業者からのメールでメールボックスが一杯になるのだけが心配ですが。