テーブルを埋め尽くす飯
「テーブルの上に隙間なく料理を敷き詰めろ」というのが、いつもの男の指示だった。
日本最大手の代理店のエースである彼は、接待にも全力を尽くした。その1つがテーブルを埋め尽くす料理の準備だった。
「この前菜とこのメイン3種類と、この肉に、このチーズと、このオリーブと」と、テキパキの彼はメニューをオーダーし、きれいにテーブルの上に料理を敷き詰める。
それは圧巻で、接待される側は驚くとともに、そのテーブルは印象に残る。松川の蟹をごちそうになるよりも印象に残るだろう。何より「テーブル一杯の料理」というのは、無意識にテンションがあがるのだ。美味しいところだけを摘んで食べるという子供の頃が今、叶うのだから。
だから、彼は接待する時は、必ずテーブルを食事で満席にした。和食でも、中華でも、焼肉でも。フレンチのようなコースの時は順番があるから、なかなかフルにすることはできないが、それでも彼はワインボトルやパンを駆使してテーブルを埋め尽くした。
しかし、ある時に気難しいクライアントの接待があった。もともとエースは会席料理を予約していた。しかし、直前にクライアントは「寿司を食べたい」といい出したのだ。
すぐにエースは、予約を切り替える。寿司を予約する。しかし、問題は寿司屋の予約ではなく、寿司のテーブルを埋め尽くすことだった。
寿司をテーブルに並べてしまったら、せっかくの鮮度の良い魚がカピカピになってしまう。さすがにガリやお茶でテーブルを満席にすることはできないだろう。
だから、エースは今まで寿司屋での接待は避けてきた。「テーブル満杯の飯」という歓待ができないからだ。
エースは悩んだ。どうしたら良いだろう。
そして、ひらめく。寿司を置く木のまな板のようなもの、いわゆるゲタ。これこそが寿司のテーブルなのだ。寿司のテーブルはカウンターじゃない。まな板だけの上だけが寿司のテーブルなのだ。
そうして、エースはゲタの上にイカ、エンガワ、マグロ、カンパチ、ウニとたっぷりの寿司を並べた。
なお、そんな一休さんのトンチのようなひねりもむなしく、その接待の案件は失注した。
世の中というものはそんなものだ。
S字クランク
教習所は出会いの場所といわれるけれど、まさか自分が恋に落ちると思っていなかった。
筆記の授業で何回か同じクラスになり、「かわいい子だな」と思っていただけだった。まさか自分からその子に話しかけられるなんて。
それは、実車練習の待合ベンチで座っていた時だった。横に座った女性。ぱっと横を見ると彼女だった。
僕は話しかけたくても、何を話しかければいいかなんてわからない。新歓だったら「サークルなに入ってる?」だけど、こんな時は、何ていえばいいんだ。「なんで免許とろうと思ったんですか」とか?おかしいだろ。なんの面接だ。
そうドギマギしていると、彼女がこういった。
「S字クランクが苦手でなんですけど、どうしたらいいですかね」
S字クランクとは、名前の通り、S字の道路を通る練習で、仮免を取るためには避けて通れない。苦手な人も多い。
僕は嬉しくなって、たくさんの解説をした。だって、僕だって心配だったから事前にたくさん調べていたんだ。
それから僕達は仲良くなった。授業が合うと隣に座り、時には、一緒にランチを食べ、授業の時間をあわせることもあった。
そして、とうとう仮免の試験の日をむかえる。ドキドキしていたあのS字クランクが待っている。
僕は勇気を出して言う。「もし、僕が一発で仮免受かったら、お祝いにご飯をごちそうしてよ」と言った。
はじめてのデートの誘いだった。こんな風にしか誘えない気の弱さを嘆くけど。
「いいよ。ハンバーガー食べに行きましょう」と、彼女は言ってくれた。僕はそれだけで有頂天になったのだけれど。
とはいえ、まだ試験は合格していない。有頂天になるにはまだ早い。
挑む仮免試験。普段よりも手に汗を握る。試験というだけで緊張するのにデートの誘いまでかかってるなんて。坂道発進をしながら、「こんな誘い方するんじゃなかった」と、何度も後悔した。せめて「筆記試験で合格したら」にすればよかった。
そして、運命のS字クランクにかかった。
頭からS字にはいる。いつもよりも狭い気がする。いつもよりもスピードを落とす。慎重に、慎重に。
最初のSの頭の部分を曲がる。「C字クランクだったら良かったのに」と思いながら、Sの後半部分にさしかかる。
その時だった、エンジンがストン、と止まった。慎重になりすぎてギアチェンジまで意識がいかなかった。エンストだった。
不合格だった。
僕はそこから記憶はあまりない。気づけば、待合室に僕と彼女はいた。
彼女は「上手だったよ」と言ってくれた。そしてコーヒーをくれた。
僕は、何も言えなかった。デートを自らふいにしてしまった。
僕からももう誘えない。自分の提案は自分のミスで失敗してしまったのだから。
なんてことをしてしまったんだ、と僕は自分の右足を攻めた。なぜあの時にクラッチを踏まなかったんだ。
そして、うなだれる僕に彼女は言った。
「じゃあ、私が仮免試験に合格したら祝ってよ」。
過去の面影
「性行為で、体内に射精されると、その人の精子が体内に残り、将来、子供を生んだ時にその精子の影響がある」といったホラーのような噂を聞いたことがあった。
そう考えると、大学生の時の彼や社会人1年目の彼の遺伝子が、今の私の子供に宿っていることになる。
「そんなのありえない」と思うけれど、ほんのすこしありえそうなリアリティがあって、少し胸の鼓動が早くなる。
ただ、やはり医学的に考えると、そんなことはありえない。精子は1つだけが子宮に着床するのだから、そんなことは起こり得ないのだ。
でも、よく考えたら、私の存在自体が、もしかしたら過去の彼たちの影響をうけているのかもな、と思った。
こんな話を聞いたことがある。
「価値観の違う2人でも、一緒にいると、2人の価値観が中央に寄っていく」と。つまり、極度の潔癖症の人とまったく気にしない人が付き合うとする。3年後には、極度の潔癖症は少し丸くなり、気にしない人は少し気にしだすというような。価値観が歩み寄るのだ。
これはありえるような気がする。やはり一緒にいる人に影響は受けるだろう。だって子供自体が遺伝子ではなく、環境や親に影響をうけて大学が決まったりするくらいだから。
だから、そういう意味で、私の価値観は過去の恋人たちの何かを受け継いでいる。そう考えると、なんだか不思議な気がして、思わず手のひらをまじまじと見てしまう。
こんな細胞にもとの恋人たちの面影を見ることはできないけれど、でも、なんだか、手を太陽にかざしてみる。
歩みが遅い世界
TumblrというWebサービスがある。記事の投稿や写真の投稿などをできるプラットフォームだ。
このサイトで検索をして、検索結果がない場合、以前はキュートなコメントが表示された。
- とてもいい検索だ。でも、世界がまだ追いついていない
といったような言葉だ。
僕はこれを見て、「そうだよね。僕が少し世界より早く歩きすぎちゃったんだよね」と自分を慰めた。ウイスキーに酔った頭で。
それから僕はこの言葉をたまに使う。
Googleで良い検索結果が見つからなくても「世界が追いついていないだけだ」と。
電車の改札で、SUICAと間違って会社の社員証を出した時も「まだ社員証で改札を通るテクノロジーができてないだけだ」と慰める。
遠くに住む恋人に会いたい時も「まだどこでもドアができていないだけだ」と。
だからこそ、僕はそのような「まだない世界」を作るためにテクノロジーに身を投じる。世界が追いつくように、がむしゃらに働く。
誰かが「寂しいな」と思った時に「あなたは独りじゃないよ」と言ってくれるような世界を。
誰かが「生きるのって辛いな」と思った時に、黙って隣に座って一緒にコーヒーを飲んでくれるような誰かがいる世界を。
恋人と分かれて寂しい夜にもとの恋人にLINEするよりも支えてくれる何かを。
そういう世界を作るために、僕は今日もがむしゃらに働く。
重ねる年
5年ぶりの友人との再会。
「最近、近所に引っ越ししたんだよ。飲もうよ」と久しぶりいn連絡がきて。「ここで!」と送られてきた肉屋の店に向かう。
URLを見ると、昔の単価よりも1.5倍ほど高いお店。その金額感の伸び具合が自分の年齢の重ね具合に比例する。
席につくが奴はまだ来ていない。昔と変わらず5分ほど遅れてきて、奴は到着する。
昔はビールで乾杯していたのに、今はワインとハイボール。ビールのカロリーが気になる年になってしまっていて。
5年ぶりに奴は父親になっていた。話も、昔は女性の話をしていたのに、今は育児に健康に資産運用。
頼む食べ物も、肉やチーズ。炭水化物を無意識に避けている。少しでた腹との引き換えに得たターザンからの情報。
久しぶりの再会には欠かせない昔話。酒量は減っても会話量は減らず。待機児童の話や不動産ローンの話、ジムの話と話題は付きない。
「たまにはこうして肩を並べて飲んで」という歌詞から始まる歌があったな、と思い出す。
でも、いつしか店も閉まる。
店の外に出ると、奴は店の隣においた自転車に向かう。
「いまは、こうなっちゃったよ」
自転車の後ろ座席には子供用の席が用意されている。ジャニーズと言われていた男も、もう完璧な父親になった。5年前に乗っていたマウンテンバイクが、ママチャリに化ける。
でも、それが結局、年を重ねるってことなんだろうな、と思う。加齢にあがらうのは大切だけど、昔と同じままでもいけないんだろうな、多分。
でも、ママチャリを漕ぐ自分の姿はうまく想像できなかったけれど。
夜の匂い
夜0時。仕事帰り。たまたま空いていたホームのベンチに座る。
ベンチに座る大人になっちゃったな、なんてことを思いながらベンチに座る。携帯をいじる。Twitterを見ていると、隣の席に女性が座る。
そして、しばらくすると、女性が、シュっと、何かの音を立てた。
えっ、と思い、そちらを見る。香水を自分の服の中にかけている。シュッ、シュッ。
マナーのある大人だから、顔は見ないけれど、甘い香りが漂ってくる。女性は香水をかけおわると、鏡を出して眉を塗り始めた。
ある鉄道会社が「電車内で化粧をしないで」といったメッセージを打ち出していた。でも、夜23時の繁華街では許してあげてもいいんじゃないか。
彼女はこれから彼氏のところにいくのだろう。あるいは、クラブに行くのだろう。
それはまさにこれから戦場に向かう侍のようで。
侍が、戦場に向かう前夜の験担ぎに、打鮑、搗栗、昆布を食べるのを見るようで。
少し応援したくなる。そして、仕事で疲れた私の身体には、その香水の甘い匂いが、カフェモカのような甘みさえも持っていて。
そんな甘い匂いを鼻孔に添えて、僕は待つ。0時を過ぎて走行間隔が長くなった電車をタラタラと。
ファーストキスの呪い
無理やりキスをされた思い出というのは、なかなか消えてくれないものだ。特に、それがファーストキスならば尚更。
小学校4年生の頃だったと思う。よく遊んでいた公園に私たちはいた。4人だった。男の子2人と女の子2人。
前後の文脈は全然覚えていない。ただ、なぜか私とその男の子がキスをすることになった。
確か、男の子が私のことが好きで。
キスの持つ意味合いや概念なんて何もわからない年齢だったけれど、でもキスは特別というのを知っていて。テレビやドラマで見ているからだ。
私はその男の子に何も感情を持っていなかったのでキスなんてしたくなかった。でもゲームかなにかで私が負けて。そして流れでキスをされることになった。
その頃のノリは、子供ながらにあがらいがたく。「やめて!」といえばいいのだけれど、その一言で場の空気を壊すことを恐れて、私はその人とキスをすることになった。
でも、1つ条件を出した。ハンカチの上から、という条件にしたのだ。私の生の唇は、好きでもない人に奪われたくなかった。
そして、私がベンチの上に座った。そしてハンカチを唇の上にあてて。そして、真正面から彼がキスをした。多分、屈んで。
そして周りの2人が私たちを囃し立てた。それがひどく耳障りで。あのときの嬌声は今でも耳に残っているような気がする。
その後、私達がどうなったかは覚えていない。多分、どうにもならなかったのだろう。
ただ、私には、「ファーストキスの思い出は?」と聞かれるとあの時を思い出す。自分ではファーストキスと認めていないにも関わらず。そして、それは10年以上たった今でも私を少しいらだたせる。
不幸な記憶とまではいかないけれど、心を不安定にさせる記憶だ。好きな人でもない人とのキスは暴力だ。それを許した私の弱さにも苛立つ。チクチク私の心を刺激する。
もしそれが同性からのキスではなければ、もう少し心は穏やかだったのかもしれないけれど。