今年の抱負の宛先
年始から、「今年の抱負」をFacebookなんかにアップして。誰も人の抱負なんて興味ないっつーの。抱負を書くくらいなら、自分の手帳にかいておけよ。
コメント欄には、「がんばってください」「いい抱負ですね」とコメントが並ぶ。
そこに取引先の相手の抱負もあがる。少し考えて「接待いいねでもするか」とLikeをおす。
そんなにみんな抱負があるものかね。「今思いついたそれっぽいことを書いてます」大会なんじゃないの。もはや大喜利かもよ
マラソン走るのなんてかってに走ればいいのに。「仕事で新しいことをしたい」って、そんなの会社の目標数字にかいておくことだろ。ソーシャルにかくことかよ。
小学校のころの書き初めを思い出す。それをみた時も同じ感想を抱いたな。「健康第一」「夢と行動」「破顔一笑」なんて、書き初めをみながら「しらないし」と思ったものだ。
あっ。ミチコちゃんも抱負をあげてるじゃない。それはみないと。なになに。
昨年は仕事にあけくれた1年だったと。そうだよなー。食事も2回ほどキャンセルになったもんな。お疲れ様でした。
怪我もしたとか。そういえば、一度、顔に傷テープはってた時もあったかも。ただ、それはそれでかわいかったけどな。
「今年は婚活も頑張りたい」!なんと。まじかよ。そんな重要な情報、ソーシャルに書いちゃう?!
あ、Facebookの投稿の公開範囲が「限定」になってる。さすがミチコちゃん。こういう投稿は会社の人には秘密よねー。さすがわかってる。僕には公開してくれてありがとう。
何人に公開してるのかな。
「1人」。えっ!どういうこと。僕、みれてるんですけど。バグ?
それとも、、、。とりあえずLike!
lineおみくじ
もう幼い頃からの習慣で1月2日は家族で初詣にいく。車で30分ほどいった山の麓にある寺だ。かれこれ10年以上訪れているけど、そういえばなんのご利益がある神社かもしらないな。Wikipediaで調べればわかるのだろうけど、それで「増毛」とかの神社だったら嫌だもんな。知らぬが仏。寺だけに。
甥っ子たちはおみくじを買う。大吉だの中吉だのを喜ぶ。母親に「これどういう意味」と聞き、母親が「いいことあるってことだよ」と答える。かわいいものだな。「お兄ちゃんもおみくじする?」と聞かれ、「いらない」と答える。あんな原価10円くらいの紙切れに運命を左右されてたまるか。
そんなことを考えながら歩いているとLINEが届く。
大学時代の友人から届いたライン。中身は「LINEおみくじ」。ああ、2019年からLINEが始めたキャンペーンか。特定のスタンプを買うと、ともだちにおみくじを送れるというやつだ。
おみくじになんて気持ちを左右されたくない、と思いつつも、こんな能動的にアグレッシブにおみくじが懐に飛び込んできたら、開けざるを得ない。しかし、デジタルのおみくじって、すごいな。変動原価が0だものな。
少しドキドキしながら、そのおみくじを開くと「凶」と出た。思わず手が震える。気軽におみくじを開いてしまった自分の右手に苛立つし、何よりこんなおみくじを送ってきた友人にも腹が立つ。
昨年末に見かけた酔っぱらいの外国人の写真でも送り返して、友達も年始から不快な気分にしてあげようか。
しかし、こんな年始から友達同士の友情を壊す仕組みをよく思いついたな。こんな手軽に年始から人の気分を害するテクノロジーなんて、LINEおみくじかWindowsのブルースクリーンくらいだぜ。
※フィクションです(LINEおみくじは実在しますが)
LINEでの挨拶と年賀状の挨拶の違い
新年をすぎると「あけましておめでとうございます」とLINEが飛び交う。
なぜ、この人は私のLINEのアドレスを知っているのに、Facebookメッセンジャーで送ってくるんだろう。あ、Facebookの方がパソコンから送りやすいからか。たくさんの挨拶を送るには、携帯から送るよりもPCから送る方が送りやすい。なんだ。
年賀状を手書きで書いていたころを思い出す。当時は、1枚1枚絵を描くという苦行のようなことをしていた。いつか、プリントゴッコという年賀状の絵柄を複写する機械が生まれ、年賀状の生産性は劇的に改善された。とはいえ、それでも住所を手書きする手間だけでも億劫だった。
それから、パソコンができた。住所でさえもパソコンとプリンターが印刷してくれるようになった。こちらが行うことといえば、一言メッセージだけだ。この時に、もはや年賀状の苦しさは過去のものになったといってもいい。
さらに、それから10年近くを経て、いまは、LINEやFacebookのメッセンジャーで挨拶が送れる時代になった。その移り変わりの速さはまるで年賀状の産業革命だ。
当時、手書きで年賀状をかいていた頃と比べて、送り合っているものは変わっているのだろうか。1枚15分かけた年賀状と、1枚15秒のスタンプでは送っているものは違うのだろうか。
手書きの方が、なんだか温かみはあるのかもしれない。でも、年賀状が私の家に届くまでの2日間で温度は冷めちゃうな、と思った。
そんな過去の暖かさよりも、今、リアルタイムであなたが私に文字を打っているということの方がよっぽど温かい。
- 何より、住所なんて知られなくないものな。友人にでさえ
囚人が、刑務所の中で一番使いたいインターネットサービスは?
その独房に閉じ込められた囚人たちは時間が余っていた。なんせ労働以外、毎日は同じ日の繰り返しだ。新しい出来事も起こらない。同じ日が、同じ時間が過ぎていく。
ただ、変化もある。話がうまくなっていくのだ。
毎日、同じ話をするにつれ、話術が磨かれる。また、話題の着眼点が研ぎ澄まされる。
たとえば、こういう話だ。ある時は「おとぎ話の中で、一番犯罪をおかしたのは誰か」という自分を重ねた話題。あるいは、「死ぬ時に食べたいものは」といった切実なものまで。
ある日、「もし、刑務所の中でインターネットを使えるとしたら何を使う」という話題がでた。
ある男は答える。「Facebookは嫌だな。連れが楽しく遊んでいるのを見ると気分がめいっちまうよ」
ある男は言う。「流行りのTik tokはいいかもしれない。この独房でも合わせて踊れるし」
ある男は言う。「TwitterでIDで呼ばれるのは、なんか囚人番号みたいで嫌だな」
そして、ある男がいった。「俺はやっぱり、Instagramだよ」
- なんで?あんな美味しそうなものや、楽しそうな場所の写真をみたら、参っちまうよ
「違うんだ。Instagramは、青空が映ってるんだ。俺は空がみたい」
2025年、お礼を言わなくなった子供たち
2025年、新聞のある記事が世間を騒がせた。
「お礼を言わない子供たちが急激に増えている」という記事だった。「子供にお礼を言われたか」という定点観測の結果、ここ3年で50%もお礼を言われなくなったということがわかった。
新聞は、いろいろな仮説を検証していた。
- 少子高齢化で、「子供が宝」になっているから、偉そうになっているのだ。だからお礼を言わないのだ
- ゆとり教育のせいだ
- 親の世代がそもそもお礼を言ってないんじゃないか
しかし、その後の研究で、どの仮説も違ったことがわかった。ある国立大学の教授の結果、「あるもの」が家にある子どもはお礼を言わなくなる傾向にあるとわかったのだ。
それは「Alexa」や「Google home」のようなホームスピーカーの有無だった。
ホームスピーカーのある家の親たちは、ホームスピーカーに「OK google, YouTubeをつけて」「アレクサ電気を消して」と、家の作業を代行させていた。
元来、それを人にお願いしたならば、対応してくれたことに「ありがとう」といっていただろう。しかし、アレクサやGoogleホームに「ありがとう」とお礼は言わない。
それを見ていた子供たちは、何かをされてもお礼を言わなくなったのだ。
無人カフェや無人コンビニの普及も「お礼の消滅」に拍車をかけたこともわかった。人がいない場合は、レジでものを買っても「ありがとう」という機会がないのだ。
この研究を受けてGoogleやAmazonは「ホームスピーカーに作業をお願いした後はお礼を言うことを推奨する」と述べた
音声起動
「米CIA長官、カショギ氏殺害の音声記録を確認=関係筋 | 」の記事を見て、ミキオは思った。
- ジャーナリストとして、これはヒントになるな。これは、カショギ氏は、AppleWatchか何かで音声を取っていたのだろうか。声を録音し、どこかに送っていたのだろうか
- 確かに、ジャーナリストたるもの、いつ捕虜になるかわからない。そんな時に、いざという時に、声で電話をかける設定をしておくのは良いかもしれない
そうして、ミキオは、音声だけでスマートフォンから、110番をかけれるように設定をした。とはいえ、「OK google 110番かけて」とでも言おうものなら、「何してるんだ」と、すぐ殺される。そのため、「OK google」や「Hey Siri」以外の音声で起動コマンドを設定した。iPhoneだと脱獄(Appleが許可していないアプリを利用できる状態にすること)をしなくてはいけなかったので、androidでその設定をした。
しかし、キーワードの設定が難しい。「捕まった時に不自然ではない表現」で、でも「普段は使わない」ような言葉じゃないと、いざという時の役に立たないだろう。もし、自分が使わない表現でも他の人が言ってしまうと、電話がかかってしまう。誰も言わないような言葉がいい。
- そうだ。「What(ワット)、なんだ」にしよう。「なんだなんだ」の1つを英語に置き換えた言葉だ。捕まった時は「なんだなんだ」は言いそうじゃないか。ただ、それだと普段でも言ってしまいそうだから、英語と日本語を組み合わせればいい。
我ながら妙案、とミキオは考えた。「外国人タレントの新しいギャグみたいだな」とは考えなかった。
それから1ヶ月。ミキオは、2回も誤作動で、この音声コマンドを通じて警察に電話をかけてしまった。
1回目は「ワットナンダだっけ、ナンダワットだっけ」と一人でつぶやいている時に、かかってしまった。
2回目は、電子レンジで、冷凍食品を温める時に「これ、500ワットなんだ」と、つぶやいてしまい、かかってしまった。
- もう誤作動はさせないぞ。電子レンジのワット数も考えない。
しかし、2度あることは3度ある。それからしばらくして、またミキオは警察に捕まってしまった。
- ちょっと待ってください。今回は、僕は誤作動させていませんよ
とミキオは弁明した。
警察はいった。
「誤作動とは何の話だ?お前が『捕虜になるかもしれない、捕虜になるかもしれない』というわけのわからないことばかりを言っているから、お前の親御さんが警察に保護の連絡をくださったんだ。
ミキオは、「俺、ジャーナリストじゃなかったんだっけなぁ」と思った。
Apple watchとタクシーアプリの位置情報が暴いた殺人事件
都内のアパートの一室で起きた話。その部屋では、ある女子大生が家にいた。なぜ家にいたのはわからないが、おそらく休日だったのだろう。あるいは大学生たるもの、家でダラダラしているのが本分だから、講義を休んで家にいたのかもしれない。あるいは体調が悪かったのかも。
いずれにせよ、その女子大生は、女子大生らしく、人生を謳歌していた。つまり、恋人が2人いた。その日まで、それはバレていなかった。
事件が起こったその日は、まず1人目の男が前夜から泊まっていった。女子大生はインターネット好きだったから、2人でNetflixでも見たのかもしれない。あるいは、MMORPGを一緒にしたのかもしれない。いずれにせよ、1人の男と一緒にいた。
そして夕方になり、男が出ていった。それから、30分後に、もう1人の彼氏が彼女の家に訪れた。さすがに彼女も「少し前に、別の男がいた空間に、別の男がくるのはいかがなものか」と少し思っただろう。しかし、男は急に来たのだから、彼女は拒む理由がなかった。
「散髪いこうとしたら休みだったので、遊びにきた」とのこと。事前にLINEくらいくれればと思ったけれど、突然きたことにも理由はあるのだろう。男は、女の浮気を疑っていた。
部屋に入ってまず気づく匂い。自分ではない男の匂い。そして、気がつくゴミ箱の避妊具。バレル女の浮気。
その後、言い争いになり、男は女を刺殺した。どこにでもある事件、とまではいわないけれど、年に1度くらいは起こる事件。コナン君の周りでは毎週起きる事件だ。
しかし、殺人を犯した男は、警察に言った。「俺がきた時にすでに彼女は死んでいた。俺は殺していない」と。
彼はこう言う。「18時ごろに彼女の家にきたら、すでに刺されて死んでいた」と。実際に彼はきた時間は17時だった。事件が起きたのは、17時30分だから、その時間には家にいなかったと言いたかったのだろう。もう1人の男のせいにしようとしたのかもしれない。
しかし、すぐにその嘘はバレた。
そして、彼がその家についたのは、17時だということがデータに残っていたのだ。彼はその場所までタクシーでいったのだが、そのタクシーアプリが位置情報を記録していたせいで、男が何時にどこにいったかが記録されていたのだ。
- 男は言い訳をした。間違えた。僕がついたのは17時だったかもしれない。でも、その時にすでに彼女は死んでいたんだ
しかし、それが嘘であることもバレた。彼女が身につけていたApple Watchの心拍計の記録を調べたところ、心拍数があがっていたのは、17時30分で、17時30分まで生きていたことが証明された。
こうして、男は捕まった。IT時代に、嘘はつけないのだ。
元ネタ
・ジャパンタクシー、広告サービスへの情報提供を停止 :日本経済新聞
・Apple Watchの心拍センサーとアクティビティ機能が殺人事件容疑者のウソを見抜く - GIGAZINE