五感と風覚
世の中には五感というものがある。人の感覚神経を差し、具体的には、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の5つだ。
しかし、風を感じる風覚というものも上記の1つに入れていただきたい。これは、触覚とも違う。風を感じる感覚だ。
具体的には、夏の暑い日。週末に目覚めて、太陽が照りつける中、午後の2時くらいにシャワーを浴びる。そして、シャワーから出て、窓をあけると心地よい風が吹いてくる。この風の気持ちよさは、どの五感も超越したところにある。
その風の心地よさを感じられるのはせいぜい10秒ほどだが、それは射精にも近いほどの多幸感を人にもたらす。
単なる風では駄目だ。ワインに風味があるように、風にも風味がある。まさに風だけに。それは肌ざわりならぬ、風ざわりとでもいうような、肌を丁寧に撫でる風。その勢いと温度、そして、匂い全てが揃って風が持つ風ざわりとなり、それを感じられるのを風覚とでも言う。
あるいは、ハワイの空港に降りて、むわっとまとわりつく風。あるいは、冬の暑いお風呂に入って窓を明けた時に入ってくる風。または夏の汗でドロドロになった性交の後の背中に窓から忍び寄る風。そういう風を愛でる楽しさを知っているだけで人生は、一層、楽しくなる。
万葉集にも風を扱った歌は多い。
その中でも額田王の以下の歌は情緒も深い。
君待つと
わが恋ひをればわが屋戸やどの
すだれ動かし秋の風吹く
「恋する人を待っていると、家の簾を秋の風が揺らす。自分の心もそのように揺れてしまう」といったような歌だ。
または、ことわざの
幽霊の正体見たり枯れ尾花
幽霊だと思ったものが風に揺られた枯れたお花だったという、風の悪戯を歌う。
あるいは、サザンオールスターズのTSUNAMIのフレーズで
風に戸惑う弱気な僕
と歌われるように、風は必ずしも追い風だけではない。時に向かい風となり、あるいは、人を臆病にさせる。
それらを含めて、風触りは人の心を触る。皮膚を通じて、あるいは揺らす対象を通じて、メッセージを伝える。
そう考えると、故人が歌った
The answer is blowin' in the wind(答えは風の中にある)
という歌も別の様相を怯え来る。
これはの意味は、「風が喋る言葉を感じろ」ということではない。風を通じて、自分の心のメッセージを聞け、ということなのだ。