寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

国境の東のさらに東

電話先では彼女が何か言っていたが、まわりの人々の話し声がうるさかったし、彼女の背景ではクリスマス音楽が流れていたので、僕には彼女の声を聞き取ることはできなかった。電話が途切れてからも、僕は彼女が電話口で何を言おうとしたのかを思い返した。水面に落ちたインクが手から流れ落ちるように、彼女の声はどこかに落ちていった。もう一度賭けなおしてもコール音が鳴るだけで彼女は電話に出ない。僕はそのままカフェでじっと自分の席に座っていた。それから、また電話がくる前のように、席に深く座り、足を組んだ。そして窓の外の寒い風景を眺めていた。窓の外では犬が歩いていたけれど、その犬を犬と認識できないほど僕の頭は彼女からの電話で占められていた。ウェイトレスが僕のところにきて、もう冷めてしまったコーヒーを下げていいかと聞いた。僕は振り返って頷いた。そして、新しいコーヒーを注文した。コーヒーが手元にないと心もとなかった。僕はまだしばらく立てなかった。彼女が電話口で必死に伝えた何かを思い返していた。5分ほど考えて、新しいコーヒーが届く前に、僕の記憶は何かの像を結んだ。彼女はどうしたらいいかわからない、と言っていたんだ。僕は彼女のところに飛んで行きたかった。彼女は今、どこにいるのだ。僕は彼女と話す機会を永遠に失ってしまったのかもしれない。まだ大丈夫だ、と僕は自分に言い聞かせた。まだ手遅れにはなっていない。僕は彼女がどこにいるか思い巡らせた。彼女の今の家はわからない。2年前に分かれてから引越したハズだ。彼女のよく行くカフェはわかる。でも、あのカフェはクリスマス音楽はかけない。僕は急いで席を経った。おかわりで頼んだコーヒーはまだ来ていなかった。でもその分の2杯分のコーヒーの値段を払って、僕は店を出た。彼女は僕の助けを待っていないのかもしれない。ただ、僕はどこかにいる彼女に向かって走り出した。

 

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この小説は村上春樹氏の「国境の東、太陽の西」から3行ほどの骨子を拝借して、それを別のストーリーとして膨らませて書いてみました。