誰も死なない何も起こらない物語
誰も死なない物語が好きだ。そして何も事件が起こらない小説が好きだ。
たいていの小説では、人が死ぬ。あるいは、人がさらわれたり、カード詐欺にあったり、城が燃えたりと、まぁ何かしら起こる。名作ノルウェイの森は何人もの死の上に成り立っているし、伊坂幸太郎の物語ではカカシだって喋る。
もちろんそういう非日常こそが小説の魅力というのもわかる。しかし、特に「日常」が愛おしくなるのだ。何も起こらず、誰も死なない。
具体的には国道沿いのファミレスや中村 航さんの小説が近いかもしれない。もちろん物語として何も起こらないとそれは小説として成り立たないので何かしらは起こるのだが、それはどこにでも起こるような日常であればあるほど落ち着く。まるで吉本新喜劇のような予定調和が落ち着くのだ。
ちょうど先日、疲れた30歳前後のOLが言っていた。
「平日はテレビを見たくないの。疲れて終電で帰ってきて、それ以上、情報を仕入れたくない。ご飯を食べながら見るテレビは、どこかの単線からの景色や猫がうつっている天気予報みたいな番組がいいの」
といっていた。すごく気持ちはわかる。夜、寝る前に、ガイアの夜明けやカンブリア宮殿は胃もたれする。プレジデントや日経新聞は夜に見たくない。
そう考えると、実は「普通の」人たちが書いている日記としてのブログが一番心が落ち着いたりする。等身大の人たちの、何気ない日常。誰も死なない。誰も誘拐されない。市井の日々。そう考えると、ブログの誕生は、「誰も死なない物語」を大量に生み出している。Facebookは着飾った日々だけど、mixi日記の日々はなんだか日常がそこにあった。もしかしてFacebookも写真投稿がなくなれば、きっと着飾らない日常がそこにはあるのかもしれない。はてななんて、写真を重視していないからこそ、この淡々とした水墨画のようなワビサビを楽しむすまし汁のような田園風景を楽しめるのかもしれない。
ブログを作った誰かに感謝する日々です。僕はあなたの日常がみたい。
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以下の燃え殻 (@Pirate_Radio_)さんのツイートにてヒントを得ました
ホトホト疲れた。人が1人も死なない穏やかな映画が観たい。披露宴のしばしご歓談の時にかかるような曲を流しながらだらしなく寝たい
— 燃え殻 (@Pirate_Radio_) 2016年4月8日