寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

目を合わせると食事に行かないといけない国

南米のある国では、奇妙な習慣が残る町がある。その町では、目をあわせたら、「食事に行く」というルールになっている。拒否をしてもいいのだが、倫理的には非常に許されない。目が合うと最後、食事に行くしかないのだ。

ゆえに、人はサングラスをかける。あるいは人によっては、下を向く。相手がどういう人か足音で分別できるように深化を遂げている。また、夜しか出ない人もいる。

しかし、若者たちは、好奇心旺盛なので、目を合わせるのを楽しんでいる人たちもいる。若い者同士が、これで出会って、恋人同士になるということはかなりケースとして多い。ただ、問題は、恋人同士でも相手がうっかり他の人と目を合わせたら食事にいかないといけないので、それで浮気となり問題が起こることもある。

最近では0.1秒くらいではセーフというルールができているようで、0.1秒だと相手がありかなしかが判断できるギリギリのラインだ。習慣は現代風にアレンジされるもので、そうなると、より使い勝手よくその風習は活用される。

当然同性同士で合うこともある。その時は、「何喰う?」「なんでも」という言葉で近くの店に向かう。おうおうにしてサンドイッチを持っているので、それを町中で食うことも有る。

悩ましいのは、ボクシングなどの格闘技だ。そこでもルールはルール。例外ではない。目があえば後で食事に行かないといけない。学校の先生たちは、あまりに目があうと食事の回数が膨れ上がるので、めをあわさないという教育方針をとっており、子供たちの承認欲求が少し薄れる。

そんな町に数日暮らして気づいたことは、いかに私は、無別さに人をじろじろ見ているのか、ということだ。電車では、立っている人を眺めたり、歩いている時に待ちゆく人を眺めたり。この町でそんなことをしているとすぐに目があって食事が始まる。僕はこの町に来てから、地面を見ることが増えた。あと携帯を眺めることが増えた。ただ、良いこともあった。いかに奥さんが合わせてくれる目が尊いかということだ。普段、これだけ人と目を合わさないと、人は不安な気持ちになる。そこで、きちんっと目線を受け止めてくれる奥さんのありがたいこと。それだけで自分が受けいられた気がする。眼光の強さって、そういうことなんだな、と思った。それは相手を見抜く力でもあり、受け止める力でもあるのだ。僕は彼女の目を写メにとって、携帯の待受にしている。こうすると僕はいつでも奥さんと目を合わせながらも二度目のランチに行かなくて済む。たまに瞬きも欲しいけれど。