眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

日陰を譲る

シゲルはあまりにも疲れていた。彼はそれを「絶望」という言葉で自分を理解していた。主に仕事での失敗や苦労からくるものだったけれど、プライベートがない彼にとっては仕事=人生の全てだったから、そういう点では、人生のあらゆる面においてシゲルは疲れていた。逃げたかった。

ゆえに連休中は寝て過ごそうと思った。しかしながら、せっかくなので旅行にいこう、と考えた。このまま寝たらある程度疲れは取れるだろう。しかし、それ以上の解決にはならないだろう。旅行に行くと、もしかすると新しい世界が見えて、いまの辛さを根本的に解決できるかもしれない。

とはいえ、旅行のプランを立てるほどの気力もなかったので、インターネットでHISのめぼしいツアーを見つけ申し込んだ。行き先はハワイにした。どこでも良かったのだけれど、あまり英語を使わない環境がいいと思ったのだ。

空港で1人で飛行機を待つのは苦にならなかった。Kindleで本を読んでおけば時間は過ごせる。辛かったのは、現地での食事とビーチだ。ビーチでは、周りはカップルか家族がチェアを占領し、1人でいる人はほとんどいなかった。とはいえ、それに怖気づくほどでもなく、シゲルは1人、空いているデッキチェアに腰を下ろし、振り注ぐ太陽の下、Kindleの読書を始めた。右手には、クアーズというビールを持ちながら。

読んでいる本が一段落して、シゲルは周りを見渡した。少し日は落ちているがまだまだ日差しは強い。そんな中、パラソルの陰にはいれていない場所でチェアに座る白人の男性がいた。

「暑くないのかな」とシゲルは考えたけれど、彼がそこにいる理由はすぐに分かった。陰に入れるチェアは1つしかなく、彼はそれを恋人と思しき人に提供していた。ゆえに、彼は1人太陽の日差しを浴びながらつらそうに本を読んでいた。サングラスとタオルでなんとか太陽を交わしながら。

夕食は、海が見えるレストランを選んだ。せっかくハワイにきたのだから、そういういった雰囲気を満喫したかったのだ。シーフードのパスタとスープを食べ、シゲルはほろ酔いになりながら周りを見渡す。

すると、海際の席の初老のカップルが目に入った。欧米人のカップルの座り方と逆だったのだ。欧米人は海が見える側に女性が座り、海側に男性が座る。いわば、景色が良い方を上座として、そこに女性を座らせる。欧米のレディファーストの現れだろう。

対して、その初老カップルは、おそらく日本人のように思えるが、海際に女性が座り、男性が海の見える場所に座っていた。

それに対してシゲルは「日本人はレディファーストがなってないな」とは思わなかった。日本の文化では、そのように男性をたてるというのがマナーだったのだろうし、いまでも和食の店では男性が先に歩くのがマナーだ。それはそれで何も悪くない。むしろ、その初老のカップルで、女性が旦那にビールを注いで食事を取り分けて、という所作を彼女がとても幸せそうになっているシーンが気になった。彼女は、そのように男性に尽くすことが非常に好きなのだろう、と想像した。少なくともいやいややっているようにはおもえなかった。それを考えると、欧米と日本のカップルでは、やっていることは男女が逆だけれど、結局、「相手のことを思ってやっている」という点では、同じことをしているのだなぁ、と感じた。

シゲルは考える。人のために自分を犠牲にするということを。昼間にみた「人のために何かをする」という人たちの所作を見て、自分はそのようなことをしていないな、と思う。自分1人で生きてきたし、恋人はいた時はあるけれど、恋人のために何かするということは少なかったように思う。だからこそ振られたのかもしれないが。

仕事にも思いを馳せる。いまの仕事も結局のところ、自分のためだけにしているな、と思いつく。会社で人に喜んでもらえるようなことを最近しただろうか。いや、忙しさと疲れを言い訳にして、自分のことばかりをしていたな、とシゲルは考えた。

僕も何か人のためにしてみたいな、と考える。

翌朝、ホテルで合う人に「Good morning」と挨拶をしてみた。いままで欧米人にされるばかりだけれど、今回は自分からしてみた。すると、すごく気分がよくなった。自分が挨拶をされるだけでも、何か自分を認めてもらったようで嬉しくなるが、自分でしてみるのは、それ以上に心地よかった。何か良いことをした、という思いで溢れた。

朝食を食べながら、日本の震災にあった人にインターネットを通じて寄付をしてみた。いまはクレジットカード1枚あればハワイからでも募金ができる。

すると、なんだか「自分は生きていていいんだ」という気分になってきた。僕が生きているだけで、少なくとも九州の震災にあった人に数千円の価値は提供することができる。家のマンションで合う人に挨拶をずっと続ければ、その人たちの生活をほんのすこしだけ気持ち良いものに変えるかもしれない。他にも僕は何かこの世界に対してできるのかもしれない。

シゲルはスクランブルエッグを見つけながらそう考える。今まで感じたことのない感情が体の一部に生まれてくるのを気づく。すごく小さいが、シゲルにとっては斬新な感情が。