寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

最近、いつ「助かりました」と言われましたか?

生活していて「助かりました」と言われる経験って、あまりないな、ということに気づいた。

「ありがとう」はある。それこそコンビニで買い物した時や会社でドアを押さえておいてあげた時。ただ、それは「助かった」とは違う。この助かったは「困っているのを救ってくれた」というニュアンスであり、ありがとうの上級編のように位置する。

「助かった」と言ってもらうには、「困っている」人をたすけないといけず、すなわち、困っている人と出会う必要があるのだ。もちろん、世の中には困っている人は多くいる。難民や震災の被害者などなど。しかし、その人たちに寄付しても「助かりました」とは言われない。それは単純な話で対面ではないからだ。

そんなことを考えて日々を過ごしていた。そうすると、ほんとに「困っている人」に出会わないことに気づく。浅草や六本木にいけば、観光客が地図を見ていて、そういう人たちを助けられるのかもしれないが、こうも田舎では、そういう観光客もいない。落し物を拾ったりしたら言われるのかもしれないが、そうそう落し物なんてない。

会社で重い荷物を持っている人のお手伝いをした時は「ありがとう」とは言われたが、期待されたが「助かった」とは言われなかった。ああ、助かった、という言葉の遠さと尊さよ。

どういう時に、どういう人が「助かった」というのかを考えてみた。仮説としては「何かの目標を達成しようとしている人」への支援が「助ける」ということなんではないかな、と思った。そう考えると、僕の周りでは目標達成を向かっている人が少ないのかしら、なんてことも思った。でも、そういうケース以外でも「助かった」とは言うし、関係ないかもな、とも思った。たとえば財布を落として見つけた時は、きっと「助かりました」と言うだろうけど、それって目標達成ではないものな。

ある日、「世の中に困っている人なんて少ないんだね」と母親にした。すると、母親はいう。「もっと周りを見てみなさい。駅で5分でいいから周りを観察してみなさい」と。

それから僕は駅に向かう。田舎の中でももっとも栄えている駅に向かった。そして、適当にホームに入り、周りの人たちを眺めた。夜の19時くらいだ。

すると、困っていそうな人たちがたくさんいることに気づいた。ベビーカーを階段で下ろすのに苦労している母親、疲れてベンチで熟睡している人、携帯のバッテリーを切らして乗り換え先がわからなくなっている人(想像だけど)、トイレを探してホームを走っている人(想像だけど)。

ああ、世の中には困っている人はいるんだ。ただ、自分には見えていなかっただけなんだ。僕は、ベビーカーを下ろすのを手伝う。そして、ありがとうをもらう。「助かりました」は、今回はもらえなかったけれど、きっといつかもらえるだろう。

助かったよ母さん、ありがとう。