寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

愛の銀行

母が私のために何百回と神社に行っていた。それを知ったのは、母が他界してしばらく経ってからからだった。

大学から東京に出てきた私はそんなことつゆもしらず10年以上を過ごしていたことになる。就職活動の時、海外旅行に行っている時、そして、私が仕事で辛いと母に思わず電話をした後。母は、悪い足を引きずり神社に行っていた、そうだ。妹によれば。

母は特定の宗教に信仰深い人ではなかったから、神社の意味は特に深いものではなかったのだろう。ただ、何かに祈りたい気持ちで、「それならば」と神社にいったのではあるまいか。就職活動の時は、お祈り連絡をもらう度に母に電話をしていた。当時の彼氏はさっさと外資系に内定が出ていたから、彼氏に相談することはできなかった。母はいつも「いいところが見つかるからあせらないで」と言っていた。その陰で、神社に毎晩いっていたなんて。神様も大変だっただろう。なんとお願いしていたか知らないけれど「内定がでますように」みたいなお願いを毎晩されて。私が神様だったら「どの会社にしたいか言え」と言いそうだ。

母は私たちを育てるために仕事ばかりの人生だった。片親で育てるのはきっと私が想像する以上に大変だったろうと思う。だから70にならずに他界したことを「苦労がたたって」と言われても不思議ではない。私たち2人を育て、そして、神社に祈り、そして、死んだ人生だった。幸せだったのだろうか。人はそれを幸せというのかもしれない。ただ、私は思っているより母の愛を受けていたことを改めて思うにつれて、この愛は私の体に満ち、そして、行き場をなくしている。この愛はどこに受け渡していけばいいのだろう。バランスシートが悪い。資本が多すぎるのに活用できていない。

こんな時こそ、母に相談できたら良かったのに。「母さんの愛を私はどこに届ければいいのでしょう」と。

とりあえずこれから神社を見かけたら母の冥福を祈ろうと思う。それで愛を返せるとは思わないけれど、神様がいい感じで帳尻をあわせてくれるだろう。そう考えると、神様って人々の愛を一心に預かる銀行みたいだな、と思った。私の行き場のない母からの愛は一度神様にあずけてみよう、と思った。それが誰かを幸せにする原資になるともっと良いな、と思った