寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

一番線のない駅

一番線のホームがない町だった。実際にはホームの名残はあるけれど、トイレとなっている。そして、使われていない線路だけが残り、2番線と3番線だけが使われている。

横須賀にあった横須賀造船所に天皇が行くために使われた路線が一番線だった、と言われている。本当かどうか知らないが、いずれにせよその町には、1番線がない。

なかったらなかったで何も苦労はないのだが、ただ、なぜか不思議な喪失感がある。大げさにいうならば、「私は一番線のない駅がある町に生まれたのだ」という奇妙なアイデンティティとでもいおうか。

海がある町に生まれたものが海を愛するように、祭りがある町にうまれたものが祭りを拠り所とするように、私は一番線のないものが、何かしら自分の一部として残っている。だから、「ホームで待ち合わせ」と聞くとまずはそれが何番線か調べてしまう。1番線だと、なんだかその旅行が良いものになりそうな気がする。ハリーポッターの9、10番線ホーム入口脇の話にもゾクゾクした。駅のホームに何か執着があるのだろう。

ある日、他にも一番線がない駅があることをしった。知っているだけで、10駅前後ある。たとえば、長野や十日町根府川。当然、ではあるけれど、私は自分のなくした何かを探すかのように、それらの駅にいった。絵本「ぼくを探しに」の自分の足りないかけらを探す欠けた丸のように。そして、同じ喪失感の共有をし、返ってくる。写真は撮らない。私は撮り鉄ではない。

ただ、どこを探しても私の1番線はない。探して見つかるものではない。ただ、ざらざらとした喪失感があるだけだ。

そして、私はある日、失恋をした。2年の恋だった。失恋に慣れていない私は、それなりのショックを受けた。2日は食事を食べられなかったし、気づけば公園を歩いていた。慣れないタバコを吸って、お酒をしこたま飲んだ。学校も2日ほど休んだ。

そして、一週間が経った。失恋をして、自分がなくした何かを感じることができた。「ない」という存在がそこにはあった。それから、そこから足りない一番線を思い出した。すると、不思議な感情を抱いた足りない一番線が、私のなくした何かの場所にはまったのだ。1番線の喪失は、逆に私の喪失を埋めた。

「足りないということが完成している。足りないということが意味のあることだ」と駅はずっと私に主張していたのだ、きっと。私はそれを見逃していたし、もしかすると、あえてみていなかった。そして、私は自分も何かを失い、同じく、一番線のない駅と同じ目線に立つことができた。そして、一番線は私を待っていた。

一番線のない駅に生まれたことは悪いことではなかったのだ。