寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

庭の桜

人を幸せにするにはどうしたらいいんだろう、と考えた。

友達を笑わせることならできる。ただ、それ以外に僕は世界に対して幸せを貢献しているんだろうか。寄付をすればいいんだろうか。そうして僕はコンビニの募金箱に10円以下のお釣りは入れることにした。でもこれは人を幸せにしているんだっけ。

きっかけは、友人のFacebookだった。彼女は、フェアトレードという途上国の商品を日本で売ることで、途上国の産業を助けている。彼女は、それを「途上国を発展させたい」という思いでやっている。昔なら俺も「ふーん」と思っていただろう。「俺は特に途上国には興味がないし」と。ただ、その写真の彼女がとても笑顔で、それが気になった。美しいな、と思った。なぜこんな笑顔になれるんだろう。俺はこんな笑顔で笑っているのか。

彼女は高校時代もこんな笑顔だったかな、と思い返す。そうだったような気もするけれど、ちゃんとした記憶ではない。ただ、おそらくは安い給料にも関わらずバングラディッシュの日差しを浴びて真っ黒になり笑う彼女を見て、良いな、と思った。そして、そのまま風呂に入って考える。もやもやとそれについて考える。何かが俺の胸に刺さり、それが残る。そこで風呂で気づく。俺は人の幸せのことを考えたことがないな、ということにも気づいた。自分のことだけだった。正確にいえば、幸せということ自体にあまり考えたことがなかった。生きるのに必死だった。

なんだかそれが笑顔のヒントのような気がして、ちょっと人を幸せにしてみよう、と思った。真面目に思ったのではなく、思い出した時にそれについて考えてみるだけだ。バスに乗っている時間やシャワーを浴びている時に。

そして寄付をした。でも、自分は何も笑顔にならなかった。人を笑わせている時は僕は笑っていた。それ以上、どうすれば良いかわからない。

そんなある日、会社の帰りで普段とは違う道を歩いて返った。人を幸せにする方法について少し考えたかったからだ。ファミマで買ったカフェラテを片手に歩きながら考える。

そんな時に、ある家に咲くきれいな桜が目に入った。なんという種類の桜かわからない。ただ、とにかく大きく、そしてきれいな桜だった。

この家の二階から見る桜はとてもきれいだろうな、と思った。同時に気づいた。この桜はこの道を通る人にとってもきれいだし、近所に住む人にとってもきれいだろう。前の家の人は、ベランダからこの桜を眺めることができる。

ああ、そういうことかもしれない。この人は自分のために桜を植えた。近所の人のことを考えて植えたわけではないだろう。しかし、その結果、この桜は他の人を幸せにしている。来年も何十人、もしかしたら何百人の人が帰宅途中にこの桜を見て、気分をよくするだろう。

こういうことなんだ、と思った。