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寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

舞台があるレストラン

白金台のプラチナ通りにあるその店は、「劇場」という意味合いの名前が付けられていた。その名の通り、劇場をモチーフにしたレストランで、地下一階のドアを空けると、そこは、キッチンを舞台とした劇場のような作りになっている。

オープンキッチンを取り囲むようにコの字に配置されたカウンターは、まるで舞台を見る客席のようで。そして、天井から吊るされた数十のライトは、卓上の食事を絶妙な光加減で照らしていた。いわば、料理人たちが職人となり料理を作り上げる様子を、客席から臨場感と共に楽しめるレストランだった。

そんな店に訪れたのは初夏のある週末だった。客席は8割型埋まっており、この店の人気を感じさせた。地下に降りる階段が下北沢の舞台を思い出す。昔の恋人との再会にkの店を選んだのは、この店のカウンターが好きだからというのもあるが、彼女が舞台が好きだったからというのが大きい。彼女は「役者は本業にしてはいけないもの」と言い、役者業は辞めたが、それでも彼女は映画よりも舞台をよく見に行くほど舞台好きだった。

久しぶりの再会に思わず話は弾む。空白の時間を埋める話だけでも1時間はあっという間に過ぎ、そして、当時の思い出ばなしをするだけでも1時間はすぎる。2時間がすぎる頃には、5500円のコースは、メインの2品目が終わろうとしていた。

ふっと、テーブルの対角線にいるカップルが目に入った。黒髪ボブの顔立ちがきれいな女性と、メガネをかけたボサボサ髪の男性で、なんだかそのアンバランスさが目に入った。一般的には、女性の方が美女と呼ばれる部類で、男性は「ぱっとしない」という印象を受ける人だった。しかし、彼女は彼の方に90度に身体を向けて、大して男性は身体を前にしたまま、グラスを傾けている。彼女は熱心に何かを話をしてそして笑う。男性はたまに何かをしゃべり、そして彼女はさらに笑う。見ているとその場の主導権は明らかに男性が握っていた。それ自体に不思議はない。ただ、オープンキッチンにおけるコの字のカウンターのため、視線の先に必然とそのカップルが目に入る。

と、同時に、気づく。この店の主役は、料理や料理人じゃなかったのだ。客もまた役者として、他の客に見られているのだ。観客だと思っていた自分たちが、同時に役者だったのだ。アガサ・クリスティの名作「アクロイド殺し」を思い出しながら、知らない間に舞台にたっていた自分に気づく。

なるほど。では、この舞台で、僕は彼女とよりを戻そうとする30手前の冴えない役者なのだ。結果がどうなるかは知らない。でも、この観客たちの前に立っているということは、彼に自然と力を与えてくれる。舞台の二幕目はまだ開いたばかりだ。