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寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

引き継ぐもの

中目黒は子連れでOKな店は意外と多い。もちろんそれは六本木や恵比寿に比べて、ということだが。

目黒川沿いにあるこのダイナーはミサコが結婚する前からのお気に入りのお店だった。ニューヨークのグリニッジビレッジをイメージしてデザインされた内容はウッドテイストだが、コンクリートのむき出しの壁もあり、そのアンバランスさがNYの面影を魅せていた。といっても、ミサコはマンハッタンに1か月留学していただけで、そこまで違いがわかるほどではないのだけれど。ただ、そのような過去の思い出を感じさせてくれるこのお店は、ミサコの憩いの場だった。テラスから目黒川を眺めれば、日々の鬱屈としたことを少しは忘れられる。

夫は連れてくる前に、初めてミナを連れてきた。幸い、子供用の椅子もあり、機嫌よく、ミナはパンを頬張っている。夫をこの店には連れてくることはないだろう。ここは私の思い出の地だ。

この店を教えてくれたのは25歳の時に付き合っていた彼氏だった。アパレルのデザイナーをしていて中目黒に住んでいた。当時はこの店にそこまで愛着はなかったけれど別れてから、なぜかこの店が恋しくなってきた。それはきっとこの店の味が身体に染み込んできたからだし、そして、この店にまつわる自分の思い出が蓄積したからだろう。

ミナも大人になれば、この店につれてこられることはあるのだろうか。あるいは、ミナ自身が男を連れてくることはあるのだろうか。それはそれで悪くないな、とミサコは思う。私はミナに残せるものはあまりないけれど、良いお店くらいは教えてあげることができる。

私はミナに何を残せるだろうか、と、ホホ肉をナイフで切りながらミサコは考える。ミナが大きくなった時は、私が生きていた時のようにお気楽には生きることができないだろう。年収は下がり、結婚をしない人は増える。きっとミナは自分で仕事をする道を選ぶ必要がある。その中で結婚相手がいればすればいい。私のように最初から結婚相手ありきの人生はきっと時代ではないのだろう。

そんな私はミナに仕事の話はしてあげられない。夜の仕事や一般職しかしなかった私は、世の中の就職活動や出生争いがどういうものかわからない。でも、男の選び方なら、他の人より教えてあげられるかもしれない。そして、人生に疲れた時に使える恵比寿のカフェや人生相談ができるバーテンダーがいる三宿のバーやボーナスが出た時にだけ食べれる日本橋の寿司も教えてあげることができる。

子供といけないレストランは、ミナが20歳になった時に教えてあげよう。それまでに、店が残っているといいな、と思った。私に残せるものはそれくらいしかないや、と思った。