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寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

降りる駅を超えて

満員電車に揺られ、という陳腐な修飾がぴったりの満員電車に揺られ、サミダレは路線図を見ている。路線図を見ながら、端っこの駅に目をやる。中央林間、蒲田、高尾。いまだ訪れたことのないそれらの駅名からサミダレはその駅の風景を想像する。ホームに階段はあるだろうか。ホームから海は見えるだろうか。改札を出るとどういう人がそこで人を待っているのだろう。駅にどんなコンビニがあるのだろう。そこに住む人はどういう生活を送っているのだろう。そんなことを考えていると朝の満員電車も少し気持ちよく乗れるということに気づいた。

それでも、実際にそれらの駅までいったことはない。「今日は仕事をやめて、最終までいっちゃおうか」と思うことはある。天気の良い日はとくに。ただ、やったことはない。それは、「行っちゃうと戻れないんじゃないか」という怖さが理由の1つだ。もう1つは「きっとその駅を降りても何も楽しいことはないんじゃないか」と自分の想像が否定されるのが怖い。サミダレの想像の中では、それらの駅は、とても味わい深い風情を出していた。バブルの香りがする時もあれば、サマーウォーズのような雰囲気を醸し出すこともあった。どれも記憶の中で撫でることができるような素晴らしい駅たちだった。でも、実際は降りたら、なんてことはないのだろう。どこにでもあるような平凡なつまらない駅。きっとそうなのかもしれない。そういうのを見たくないからサミダレは最終までいかない。

山田詠美の小説で、「今日は学校休んで海にいこう」と降りる駅を飛ばして、どこかにいった物語があった。あるいはエターナル・サンシャインという映画でもそんなシーンがあった。サミダレは彼らに嫉妬する。がっかりすることを恐れずに、その一歩を踏み出すことに。きっと彼らは強い。日常のレールからはみ出ることは勇気がいるのだ。

満員電車に揺られながらサミダレはそう考える。

なお、サミダレはこの日から2年後に、ある路線の最終まで行くことになる。不可抗力で。中央線で寝てしまい、そのまま最終まで行ってしまった。酔っ払ったあげくに徹夜あけだったのだ。もっとも、彼は途中で一度起きた。国立で起きた。それでも、もう1度寝た。酔いのちからも加わり、彼はついに最終の駅までたどり着くことができた。

駅から降りると、そこはサミダレがおもったよりもずっと浪漫がある町だった。何もないけれど、空気と音がサミダレが想像したものよりずっと濃かった。それは経験したことのない湿度で、それゆえにサミダレの想像の範疇を超えていた。

サミダレはこう思う。「ああ、彼らはがっかりすることを恐れずに電車を乗り過ごしたのではなく、希望を持って電車を乗り過ごしていたのだ」と。