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寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

夏の味

雨が降る日が続いて、人はそれを梅雨と呼ぶ。そして、また晴れる日が続いて「梅雨がそろそろ明けたかな」と思ったら、雨が降る。そして、気づけば、雨の降る日がまばらになり、晴れた日が続く。ふと気象庁から「梅雨明け」の報道が一足遅れで入る。

夏がくる。

人は夏を感じる。気温も夏だが、町も夏となる。冷やし中華が人を呼び、蜃気楼が地面に現れ、海が人で混雑する。そのような貴重な夏の期間は実は短い。一ヶ月で夏は終わる。お盆もすぎれば、もう夏も終わり間近。昔の歌をひけば「台風がいくころは秋」となる。夏の終わりは台風と来訪と共に終わりを告げる。

いつからか、梅雨明けの話を聞くと、夏の終わりを想像して、気分が滅入るようになった。自分でも損をしている性格だな、と思うものの、性分だから仕方がない。曲がりなりにも、この性格で長年やってきたのだから、おいそれと変えることもできない。だから私は夏の訪れを嬉しく聞くと共に、すぐに訪れる夏の終わりを憂うという二律背反の気持ちを自分の中に共存させる。

しかし、いつの頃からか、夏を消費する、という思いになってきた。「夏がきて夏が終わる」ではなく、その一ヶ月の間に「夏という季節を私は消化するのだ」と考える。だから、そうめんを食べるし、風鈴の音に耳をすますし、蚊取り線香の匂いを鼻孔で嗅ぐ。夏だな、夏だな、と心の中で何十回も唱える。「今日寝ると明日も夏だな」と思いながら眠りにつく。夏の終わりを惜しむのではなく、「夏を満喫した」と考え、夏の去りゆくのを哀愁の気持ちで送りさる。そうすることによって、いつしか、夏の到来を純粋に楽しめるようになった。性格は変えれないけれど、物事の捉え方を変えることはできるのだ。「よし夏を消費するぞ」と考えれば、夏の終わりを想像する暇なんてない。

今年の夏は、どのような味がするだろうか。