寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

探すオンナ

どうしても見つけたいポケモンがいた。ポケモンGOというゲーム自体への熱量はそこまで高かったわけではない。彼を見つけたい、という思いが私を突き動かした。

もう20年近くも前。私も例外ではなく、近所の子たちとポケモンを遊んでいた。私はいつも使っているキャラがいて、私はその子に当時、好きだった人を重ねていた。小学生の私は、彼氏という概念はわからなかったけれど、そのポケモンに強い愛着を感じ、ひっそりと育んでいた。

そのポケモンに重ねていた男の子が中学校に変わるのと同時に引越をしてしまった。今では連絡先は誰も知らず、Facebookで探してもでてこない。そして、私も思春期という名の暗い時代に突入し、ポケモンもしなくなった。

だから、私は、その当時に愛していたポケモンを、小学校の頃の楽しい思い出と共に自分の身体のどこかに格納していたのだと思う。あれから、10年以上が経って忘れられていたポケモンの記憶が、私を動かした。

そのポケモンはレアキャラらしく、数日使っても出会うことはなかった。数週間経ち、周りの人たちが飽き始めても私は彼を探し続けていた。水辺も草むらも町中も。それでも合うことはなかった。レベルは15を超えていた。

数ヶ月たち、多くの人が辞めた後でも、私は相変わらず彼を探していた。さすがにそれまでの熱量とは異なるけれど、移動中はアプリを立ち上げ、常にポケモン探しはしていた。レベル上げには興味がなかったけれど、レベルをあげないと出会えないかもしれないと思い、レベルをあげた。

人と一緒の場所でポケモンをするのはなんだか小恥ずかしく、人がいないところで遊んだ。あるいは夜の人が少ない時間にポケストップに足を運んだ。帽子を深めに被り、顔を見られないようにした。

なかなか出会えないけれど、なんだかそれが私の日常に変化を与えてくれた。代わり映えのない電車通勤の毎日から、「もしかしたら今日は出会えるかもしれない」という1日に変わった。確率論でいえば、1%もないことだけれど、たとえ0.01%があるだけでも、私はその希望を元に、その日を生きることができた。

思えば、私は多くのものを探していきてきたのかもしれない。たとえば、学生の頃は、多くの古本屋さんをめぐった。当時はまだそこまでインターネットで古本の在庫が公開されていなかったから、私が探していた、1990年に発刊された雑誌を見つけることはたやすくなかった。結局、インターネットによってその雑誌に出会うことができたのだけれど、出会った後はその雑誌の輝きは色をなくした。私は結局、その雑誌を探すことを楽しんでいただけなんだ、という事実に向き合わざるを得なかった。

それでも、私は多くのものを探してきた。

たとえばハード型のバックルのついたベルト、ハヤシライスの美味しいお店、ディズニーのクラブ33の招待券を持った人、雑誌のPenを読むことができる美容院、、。

ものを探すことによって私は何か日常を生きてきたのだ、と自分の軌跡を眺める。

私は今もとめるポケモンを見つけた後は、どのように生きていけばいいのだろうか。そんな憂いを持ちながら、今日もポケモンの卵を孵化し続ける。