独り
雑踏の中を歩いていると、家族連れや学生たちが目に入る。あるいは、居酒屋のメニューを見る会社帰りの男たち、どこを目指すのかわからないけど小走りでかけていく少年たち、夜がきただけでも笑える女子高生たち。
そんな中でひとりで歩いていると、孤独が増幅される。孤独は、人の中にいる時こそ強く感じられるというのは本当だ。独りでいる時の孤独なんて可愛いものだ。忙しくしていたらどこかにいく。ただ町中の孤独は辛い。逃げようがない。
インターネットがない時代は、孤独の友はテレビだった。部屋で電気を消してテレビを見ていても、その狂騒が孤独をかき消してくれた。1995年には、孤独の人たちに語りかけるテレビというモチーフのCM「フジテレビが、いるよ」がACC賞を受賞した時代だ。
いまはインターネットができて、寂しくなくなった、という。しかし、それは嘘だ。インターネットでの繋がりは、結局、ネットワークを介した繋がりでしかない。そこにリアルのぬくもりがあるかどうかは、雲泥の差だ。
まさかインターネット中毒といえるほどもインターネットを生業にしてきた自分がこんな思いを持つなんて1年前までは想像もしていなかった。
しかし、恋人が去り、親が死んだ後で残ったのは、ただ孤独だった。
ただ、と男は考える。
- ただ、孤独は悪いものなのか。俺は孤独を恐れているだけではないのか。
週末の人が溢れる渋谷で歩幅の小さい男が歩をすすめる。
- 自分が孤独にしか生きれられないなら、この孤独をなんとか飼いならしてやる。
独りで道玄坂の焼肉屋を見上げる男。少し右手をこすりながら暖簾をくぐる。「独り」と指をさして、男は店の中に消えていく。