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寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

エンドロールの幕がおりて

昔、読んでいた恋愛マンガがある。「BOYS BE…」というもので、1話読み切りのオムニバスの恋愛漫画だった。

数あるストーリーの大半は忘れてしまったけれど、1つだけ覚えているエピソードがある。
人は、映画の後の「エンドロールを最後まで見る人」か「映画が終わったらすぐに立つ人」かで2分される。この好みが合うことが大事だったりする、というような話だ。

当時は「なるほどなー」と恋愛の妙味をしった気になったものだ。しかし、なんとなく気持ちはわかる。「もう少し感傷に浸っておきたいのだけど」という時に、横で「さぁ出よう」と言われるとちょっと残念。あるいは「さっさと出たい」のに「最後までエンドロールを見られると少し退屈」という感情は理解できる。

普段は薄く記憶の底に沈殿しているけれど、女性と映画を見に行くと、この話を思い出す。

そもそも、あのエンドロールをどう捉えるかによっても相性は変わるかもしれない。

たとえば、あれを「製作者のエゴでしかない」というきつい見立てをする人もいれば、「あそこで映画の余韻に浸るのだ」という人もいる。

「あれは映画を好きな人にとっては敬意を示す時間であり、映画はエンドロールを見終わるまで終わらない」という「遠足は家に付くまでが遠足です」派の人がいる。

あるいは、「ロケ地や曲をチェックする」という合理的な人もいれば、「あの時間は涙を乾かす時間なんだ」というロマンチックなことを言う人も。

ただ、思春期はそのような些事を意識してしまったこともあったけど、大人になると、このあたりは、なんだか妙なお互いの空気感で「今回はエンドロールを見る」「今回はみない」の歩調があったりする。あるいは、「エンドロールの相性以外にも、より重要な相性」というものがたくさん出てきて、エンドロールくらいの違いは気にならなくなったりする。 

そう考えると、いずれにせよ映画後の時間を「この人はすぐに立つ人かな。それとも最後まで待つ人かな」と考えるような人とは仲良くやれそうにないな、と思った。

だから、僕は自分自身とは付き合わないようにしているのだけれど。