寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

衣装被りから見るハロウィンの妙味

ハロウィンに参加する人たちのモチベーションとはどのようなものなのだろうか。

  • 自分が着たい服を着て自己充足感を高めるもの?
  • 人にコスプレを見てもらい承認欲求を見たすもの?
  • パーティーピーポー向けのアドレナリン放出祭り?

人によってそのような動機はあるだろう。しかし、参加していないとなかなか気づかないハロウィンの効用が存在する。

それは「同じコスチュームを着た人と出会う」という楽しみである。

もちろん、ありふれた衣装だと、その出会いの価値は低い。しかし、あまり人が着ない服だと、同じ衣装を着ている人との出会いは、まさに”邂逅”とさえも称されるべきものである。

自分が着たい衣装を着て、たまたま同じセンスを持った人と出会う。それは、人生の妙味と言わずして何であろうか。「同じ趣味の出会い」「同じミュージシャンを好きな人との出会い」「同じ感覚を持った人との出会い」。それが、ハロウィンでの衣装被りなのである。それは、「山登りですれ違う時の挨拶」や「同じジムで汗をかく人たちとの連帯感」にも似た感覚である。

出会い「あー!一緒だ」と言い合い、時にはハグをし、時には写真を取り合い、そして別れる。お互いのプロフィールは何も語らず、時には相手の素顔さえ分からず。しかし、その刹那の出会いが心地よい。

人は、きっとそのような「つながる」という行為に充足感を覚えるものなのだろう。

人によっては「そんな1分足らずの出会いに何の意味があるのか」と問うことだろう。しかし、人生も同じである。たまたま学校が同じ、たまたま友達を介して気が合う、たまたま会社が同じ。そのような流れで人と出会い、感覚が合えばそれが10年、はたまた50年の仲となる。

このコスプレでの出会いも結局のところ同じなのである。その時間軸が1分か50年かで違うだけで。

1人で生まれ、誰かと出会い、また1人で死んでいく。それは、きっと小学校での親友との出会いも、コスプレでの渋谷センター街での出会いも、同じ出会いなのであろう。

------------------------------------------------------

※これは筆者の意見ではなく、フィクションです。念のため