インターネットルネッサンス
2016年冬、Web業界で大きな変動が起こった。DeNAのWelqを発端に、キュレーションメディアの課題が指摘され、DeNAやリクルート、サイバーエージェントなど多くのメディアが自社キュレーションを閉鎖・記事削除を行った。
この出来事は、インターネットの歴史では「Welq事件」ということで記載されている。なお、このWelq事件は年があけた2017年にも継続し、まるでそれは、浜辺の焚き火のボヤが草原に着火し、くすぶった火種が山火事を生むかのような炎となった。すなわち、その炎上は日本のインターネットメディアを焼け野原にしたのだ。ほぼすべてのキュレーションメディアが死滅した。それでわかったことは日本のメディアはほとんどキュレーションメディアに支配されていたということだった。インターネットの検索結果のほとんどが変わってしまった。
キュレーションが滅びても、人々の怒りは収まらなかった。その矛先は、新しいメディアに向けられる。
いつしか「キュレーション」が「引用」の意味として使われ、引用を使っているメディアが対象となった。産業革命に対するラッダイト運動になぞらえ、Blockquote運動とも呼ばれるものだ。Wikipediaさえも引用が多い記事は片端から削除された。多くのブログさえも「引用だ!」と魔女狩りの対象となった。もはや、インターネット上は暴徒とかした人々が「引用」しているメディアを片端からなぎ倒すことになった。メディアの多くも「元ネタを加工しているだけじゃないか!」ということでどんどん倒されることになった。2chまとめも壊滅的だった。よっぴーだけが残った。
メディアの焼け野原だった。地殻変動が起こった。インターネットの上には、何もなくなった。無、だった。
新しい記事はなかなか芽吹くことはなかった。Smartnewsやグノシーには毎日、同じ記事が何日も並んだ。はてなブックマークも引用をしないブログしか残らなかった。
いままでインターネットが生んできた「引用」による価値創造が根底から否定された出来事だった。そうして、日本のインターネットのランドスケープは大きく変わった。Welq以前と以後はまるで戦前と戦後だった。
その時代は1年続いた。しかし、じょじょに焼け野原から草木が芽生えてきた。その草木たちは強かった。
独創性に溢れた記事たち。創意工夫にとんだ記事たち。文章を愛する人たちは「引用」という手段を使わずに表現する方法をどんどん生み出した。創作が生まれ、歌が生まれ、あるいは動画が活用された。
それはまるでボッティチェリの絵画「春(プリマベーラ)」のようだった。実際、後の人たちは、この時代を日本のインターネットルネッサンスと呼んでいる。
このルネッサンス期には、いまでこそおなじみの「引用しかしないが、それが仕様して引用じゃなくなるアウフヘーベン技法」「引用しているように見せかけて実は引用じゃないライティング」といった数々の技術が産まれるのだが、それはまた別のお話