モノは語る
2009年に島根県の女子大生が殺害された。遺体が山中で見つかったのだ。
しかし、容疑者は見つかることがなく7年が経った。
そして今年の12月に動きがあった。犯人と思われる男が見つかったのだ。ただ、それが通常の事件と異なるのは、彼がすでに死んでいた、ということだ。
女子大生の遺体の一部が見つかったのが、2009年11月。そして、同じく8日にその男は交通事故で死んでいた。自動車の単独事故だった。
もしこの出来事が事件の10年前に起こったものだと、このような結果はむかえることができなかっただろう。
なぜなら今回の決めては容疑者の付近から見つかった写真だったからだ。そこには行方不明後の被害者が映っていた。
従来は「死体はしゃべらない」というのが推理小説でも使われる事実だった。しかし、今や、死体はしゃべらないとしても、物が事実を語る。写真であり、位置データであり、指紋やDNA、服に付いた繊維や土、公共の監視カメラの映像、最後の友達とのやり取り。あなたもニュースでよく見るだろう。LINEのやり取りや監視カメラの画像を。
死人に口なし、なんてことは昭和までの話なのだ。今や、あなたは被害者を殺せたとしても、モノを殺すことはできない。これらのテクノロジーは人間の叡智の結晶だ。あなた1人が人間の叡智に勝てるとは思わない。
だから馬鹿なことは考えない方がいい。逃げ切れることはない。だから、逃げる必要があることなんてしてはいけない。