年越しそば
「ねえ」と、そばをすすりながらミキが言う。
「年越しそばってさ、なんでそばなの?」
「そばは切れやすいでしょ。だから、『その時の厄災を断ち切る』みたいな願掛けがあるみたいだよ。
あと『細くて長い』ということから、長寿を願ったっていう説もあるみたい」
僕はネットを調べながら答える。
「引越そばもそうだよね。『末永くよろしく』みたいな」
「そうだね」僕はそば湯をそそりながら答える。
「でもさ、それってうどんでも良かったじゃない。どうしてそばばかりが選ばれたんだろう。うどんが可愛そうじゃない?」
それは、なかなか的確な質問だった。なぜ引越うどんではなく、年越しうどんではなかったのか。
僕はひとしきりネットの大海をさまよい、Wikipedia先生に教えをこい、一つの仮説を思いついた。彼女はとっくにそばを食べ、汁まで飲んで、調べ物をする僕に飽きてInstagramを見ていた。友達の年末の日々にLIKEをポチポチ押していっていた。
「そばは努力家だったんだよ。そばも最初はこんな地位にいたんじゃなかった。平安時代では貧乏な人の食べる食べ物だったんだよ。
でもそばは努力した。そば切りという自分の形まで変えて、人々に受け入れられることを目指した。その結果、多くの人に愛される食べ物となった。
だから、この引越しそばも年越しそばも、そばの努力のおかげかもしれない。自分でマーケティングをしたんじゃないかな」
彼女はInstagramに飽きて、今はFacebookを見ながら聞いていた。
「ふーん。じゃあ、そばは筋トレとかして細い身体を維持しているのかもね。うどんは努力しないから、ふとっちょなのかもね」
そうかもしれない。「はっ」と、それで気づく。
炭水化物を食べないようにするダイエットが最近流行っている。そう考えると、そばを食べない人も増える。そう考えた時に、努力家のそばはきっと打ち手を出してくるだろう。
それはもしかすると、来年は「いきなりステーキ」ならぬ「いきなりそば」がでてくるかもしれないな、と思った。
「それはただの立ち食いそばでしょ」と彼女が言った。そうかもしれない。