たっぷりのコーヒー
たっぷりのコーヒー、という表現は魅力的だ。セクシーでグラマラスで蠱惑的だ。
小説やドラマではよくみる表現で。特に海外のドラマでは「たっぷりのスタバのコーヒーをもって出社」なんてシーンは、セックス・アンド・ザ・シティやザ・スーツなどでも見かけた記憶がある。
なぜ、この表現が魅力的か、と考える。恐らく、「たっぷりのコーヒー」が用意されるシチュエーションがエキサイティングだからだろう。
仕事前や戦いの前にテンションを上げるために、あるいは、眠気に負けないようにたっぷりのコーヒーを飲む。
もちろん、それには大変さも含まれている。だからこそ、魅力的なのだ。「ピナコラーダ」や「パイナップルケーキ」とかでは、セクシーさが足りないのだ。それは甘いだけだから。
たっぷりのコーヒーは、「美味しさ」と「苦しさ(苦さ、でも良い)」がブレンドされているからこその魅力なのだ。
人はたっぷりのコーヒーを飲んだ回数分、たっぷりのコーヒーの魅力を知るのである。多分。