ひとつだけ忘れたいことを忘れる花
やさぐれて歩いていた。
なぜなら恋人と別れたからだ。恋人と別れた男は、例外なく、やさぐれてあるく。道端に落ちている空き缶を蹴飛ばすように。月に吠えるように。
すると、ぽつんと花屋さんを見かけた。普段ならあまり気にも留めないが、今日はそのまま家に帰るのも嫌で、ふっと除いてみた。
マリコの好きな花は何だったっけな、と思い出したくもないことを思い出す。ユリ、バラ、チューリップと見ていると、1つ、不思議な花を見かけた。
- 1つだけ、忘れたいものを忘れる花
この花を買うと、1つだけ忘れたいことを忘れられるらしい。きっと俺にとっては、この辛い別れを忘れることができるだろう。
躊躇なく購入した。
そして、花を持って帰宅する。
- あれ、何も忘れていない
彼女のことも、辛い別れも覚えたままだ。なんだよ、と思う。こんな辛い思い出が残ってると、眠れないよ。この花に騙されたのか。
そんなことを思いながら、花を玄関において、男は夕食をとる。酒を飲みながら考える。こんなに失恋が辛いとは思わなかった。耐えられない。息ができない。食事もできない。彼女の声が聞きたい。
男は、携帯をカバンから取り出す。少しだけ声を聞きたい。彼女は電話をとってくれるだろうか。
- あ
彼女の名前を思い出せなくなっていることに気づく。あいつはなんていう名前だっけ。
名前がわからないから、電話もメールもLINEもできない。あいつはなんていう名前だっけ。
名前を思い出せないだけで、彼女との記憶が全部曖昧になっていく気がした。名前のない思い出は、自分の記憶の沼の中におぼれていった。鍵を捨てられた靴箱の中の靴のように、誰も触れることができない暗闇に、あいつの記憶は沈んでいった。
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以下の記事から発想を得ました。