寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

思い出のスタンスミス

その靴の名前は「スタンスミス」といった。

中学生の僕たちにとって、靴は「ナイキ」や「ニューバランス」とブランドで呼ぶのが一般的だった中にあって、スタンスミスはスタンスミスと呼ばれていた。アディダスとは呼ばれずに。

テニスプレーヤーのスタンレーロジャースミスの顔が印字されたそのスニーカーは独特の個性を放っていた。フォルムはシンプルで高級感がある。なのに、顔が印刷されている。その両立がその靴の不思議な魅力となっていた。何より履き心地が柔らかく、どこまでも歩いていけそうだった。「ドラクエの幸せの靴ってのはこんな靴なんじゃないか」というジョークさえもあったほどだ。さすが世界でもっとも売れているといわれる靴だった。

でも、中学生にとって1万円を越えるスニーカーは高額で、1年我慢してやっと買ってもらった。それを僕は1年で履きつぶした。走ったり、山を登ったり、雨にうたれたり。「1万円を出しても、1年で潰れてしまうんじゃ、あんまり履けないな」と思って、僕はそれから安物の靴を買うようになった。

それから10年以上たって、僕はまたスタンスミスを買った。革靴ばかりの日々に飽きて、そして年をとるとかかる病「懐古主義」にかかり、それを買った。週末しか履かないから、中学生の頃のように1年では潰れない。もう5年以上ははいているだろう。

でも、そのスタンスミスの横面には、ひっかかき傷が数本走っている。

その傷は2011年3月11日についた。東日本震災の時だ。

その時、職場と家が近かった僕は先に家に帰った。でも、職場が遠い妻は歩いて帰る必要があった。僕は彼女を迎えに自転車で家を飛び出した。

久しぶりに乗るその自転車はワイヤーが外れていた。だから、僕が自転車を漕ぐ度に、そのワイヤーが僕の靴に引っかか傷をつけることになった。でも僕はそれどころじゃなかった。僕の妻が家に帰れず困っている。車道に溢れた人たちをかき分けながら僕の自転車は走った。

その傷が靴にいまでも残っている。でもその靴の傷を僕は愛おしいと思う。あの必死の自転車のペダルの証なのだから。靴の汚れはだらしないと言われるけれど、傷は魅力としてもみてもらえないかな。

僕はその靴を1ヶ月に1度、磨く。中学生の頃や6年前のことを思い出しながら。

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今週のお題「お気に入りのスニーカー」