眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

沖縄の海

「自殺するくらいなら、全財産持ってラスベガスにいって一勝負して失敗してから考えればいいのに。勝てば自殺なんて考えなくなるだろうし」なんて不謹慎なことを小学生の頃に思ったことがある。

しかし、それから20年以上経って、ようやく理解する。死にたい人間にそんな気力はない。ラスベガスに行く気力があれば、死を考えない。

村上春樹は言った。

「死は対岸にあるものではなく、生の中にあるものだと」。 

数年前に同僚が死んだ。自殺だった。それによって、はじめて村上春樹の言葉の意味を知る。ひたひたと背後から、死は近づいてくる。じっくりと時間をかけて。気づけば、生は死に取り込まれている。人は生から死にジャンプするんじゃない。生と死が混ざりあって、死の濃さの方が濃くなった時に、人は死ぬのだ。ふっとした瞬間にそのタイミングは訪れる。時には「なんでそんなことで」と思えるようなことで、そのタイミングは訪れる。それまでにたっぷりたまった死の濃度が、分水嶺を超える。

2日徹夜空けのタクシーでそんなことを考える。

厄介なプロジェクトに放り込まれて3ヶ月が経った。土日なし。週に2回は徹夜。毎日、3時間睡眠。食事はコンビニで買った弁当をパソコンしながら食べる日々。部屋はどんどん汚くなるけれど、片付く気力もわかない。彼女とも1ヶ月以上あっていない。その時間があれば寝たい。残業時間は200時間を超える。自律神経が壊れ、眠いのにねれない。汗が出る。記憶力は低下し、論理的に物事を考えられない。それでも、2日に1回の会議までに開発を進めておかないといけない。休む暇はない。

広告代理店で自殺した女の子のニュースが話題になっていたけど、その子の気持ちがいまはよくわかる。今は、ただゆっくりと眠りたい。その対象として死は魅力的にさえ思える。ずっと眠れるのだから。気力が全て奪われて、ただ休みたいという感情しか感じない。感情さえも失ってしまった気がする。

これは僕の身体が「死んだほうが身体が楽だよ」と言っているのかもな、なんて思う。本来ならば「死にたい」なんて、生物学的におかしい考えだ。でも、それでも「死にたい」と思うなんて、細胞が悲鳴をあげているということじゃないのか。酷使されるよりもゆっくりしたいと僕の細胞が言っているんじゃないか。

そんな時だった。彼女からLINEだった。

「5/8〜9、ホテル予約したから空けといて。航空券も取ったからキャンセルできないのでよろしくお願いします」

まず思ったのは「なに勝手なことしてんだ」という憤りだった。そんな時間があれば寝たい。羽田にいく時間があれば家で寝たい。同時に自分に怒りの感情がまだ残っていたことに驚いた。

LINEに返信をしないでおくと夜に彼女から電話がかかってきた。

議論になったけれど、彼女が「この旅行にあなたはいかないといけないの」と言った。それで僕は「いかないといけないなら、しょうがないな」と納得した。なんだかその言葉はしっくりきた。いかないといけないなら、しょうがない。

会社は休むことにした。どのみち土日は家で作業をしている。旅行先で仕事をすることにしよう。沖縄で作業をしたところで会社にはバレないだろう。

それでも、仕事を残しつつ出かける旅行は億劫だった。行きの電車でも、搭乗ゲートの待ち時間でも、飛行機内でもパソコンをたちあげて作業を続けた。彼女は何も言わなかった。

そして、空港についてホテルに向かう。海に面した部屋で海風がとても気持ち良い部屋だった。

「はい、ここに座って」と彼女が言う。

僕は言われるがままテラスにあるデッキチェアに座る。すると彼女がハイビスカスティーを持っていてくれた。一口飲む。どこかからか、いい匂いもする。

「目を閉じて」と言われて、目をとじる。

一気に身体が沖縄の空気を吸い出した。まるで水に潜っていたイルカが水面に飛び出るように僕の細胞は沖縄の空気に触れて身体から飛び出した。

頭の中も5分前まで考えていたシステムの仕様のことは消えていった。

「生きていていいんだ」と身体が叫んでいるようだった。乾いたアフリカの大地に雨が降り注ぐように身体に、沖縄の空気が染み込んでいく。

そうして30分ほど目を閉じていただろうか。気づいた時には、寝起きのような気分でリフレッシュしていた。さっきまで考えていた仕事のことが数日前の出来事に思えた。

俺は何に悩んでいたんだ、と自分に驚く。ついさっきまで「仕事しなきゃ」と思っていた俺はどこかに消えていた。まるで二重人格のようだ。

身体に「仕事ウィルス」みたいな何かが感染していたに違いない。沖縄の風がそれを吹き飛ばしてくれてたんだ。

はっと気づき、横を見ると彼女もデッキチェアに横になっていた。そして僕のことを見つめていた。

彼女の手を取り「ありがとね」と、僕は言う。かすれた声で。彼女は微笑む。

彼女は知っていた。僕が仕事ウィルスにかかっていることを。そして、沖縄の風を浴びることが大切なことを。

彼女は全部知っていた。「沖縄にいかないといけない」というのは事実だったんだ。きっと彼女も僕と同じような道を通ってきたのだろう。地獄の日々を過ごしてきたんだろう。仕事ウィルスにかかっていたのだろう。

僕は椅子に身体を預けている彼女にゆっくりとキスをした。キス自体、数ヶ月ぶりかもしれない。

忘れていた感情が少しづつ湧き上がってくるのを感じた。喜びという感情が、じんわりと身体に広がるのを感じる。ハグをしながら彼女の体温が自分に伝わってくる。そこから幸せという感情が身体に染み渡っていく。

「2日後にまた相手してするから、とりあえず休め」と仕事ウィルスに僕は言う。そして、僕は沖縄の夜に深く潜っていく。