自動運転は事故は防げても悪意は防げない
まさか、「そんな偶然が」という思いだった。
その日、私は、40代のお客さんの接客をしていた。自動運転カーの試乗をしてもらい、私は助手席で話をする。実際に乗ってもらって、購入を後押しする。
運転中に「ブレーキを我慢してみてください」という。信号で前が赤になる。運転手は、ブレーキを踏みたいけど我慢する。ぶつかりそうになると車が自動で止まる。運転手は「すごい!」と感動する。私は「でしょう。これで、もう事故をすることはありません」と我がことのようにいばる。
この経験は、運転手の心理には負担をかける。でも、この経験をすると、車の購入率が段違いにあがった。人は、実際に便利さを体験するまで、その良さを気づかないのだ。
そんな中、信号で止まった時に、私たちの車の前を横切ろうとする男がいる。5年前に私の前から消えた男だった。5年たっても忘れることのないあの顔。
私を弄び、消えた男。
その刹那、私は叫んでいた。「いま、思い切りアクセルを踏んでください。止まりますから」。私の突然の大声に、お客さんは躊躇する。
「早く思いっきり!」私は続けて叫ぶ。
お客さんはパニックになり、アクセルを踏み抜く。車は急発進する。そして、その男を跳ね飛ばす。まるで、パルプフィクションのように。
男は死ななかったが、大怪我をおった。
私は業務上過失致死に問われる。
私は「罪を償いたいと思います」と言った。奴のような男を世の中で生かしていた罪を償いたいと私は思った。私が5年前に殺しておくべきだったんだ。
「お詫びの手紙をかきたいので」というと、弁護士は奴の住所を教えてくれた。どうやって、罪を償おうかと考えながら、Google mapで奴の住所を調べる。前の道は車1台くらいしか通れない道だ。好都合だ。自動運転カーが、自動で人を轢き殺した時に、それは誰の罪になるのだろうか。
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以下の記事から発想を得ました。