あなたは沈黙を楽しめる?
「沈黙を楽しめる人」と彼女は言った。
僕はその言葉がズシっと胸に響き、意図せずに沈黙を生み出してしまう。
それは、「どういう男性が好きなの」と聞いた質問の回答だった。よく聞くような「筋肉ある人」「背の高い人」「面白い人」とは違った回答だった。
その回答で、ある映画を思い出す。キル・ビルで有名なタランティーノ監督の2作目の映画だ。「パルプフィクション」という映画のあるシーン。
そのシーンの登場人物は2人。マフィアのボスの愛人とマフィアの子分。ボスが用事で愛人の世話をできないので、子分に愛人の暇つぶしの相手を頼む。子分は、ボスの愛人とレストランに行く。
ボスの愛人とボスの子分だから、会話はない。ボスの子分は、愛人を怒らせないように気を使うし、ボスの愛人は自分からネタを広げるほどの積極性もない。
そして、沈黙が流れる。そこで、ボスの愛人との会話が繰り広げられる。
愛人:こういうの嫌い?
子分:何が?
愛人:気まずい沈黙。なぜ人は気まずさを紛らわせるために、くだらないことをしゃべらなきゃと思うのかしら
子分:なぜだろうね。興味深い
愛人:でも、もし大切な人とだったら、沈黙を楽しめるわ
子分:まだ僕達はそこまでの関係じゃないよ。でも、気まずく感じる必要はない。知り合ったばかりなのだから
愛人:じゃあ、トイレに行ってくる何か話を考えておいて
彼女の言う「沈黙を楽しめる人」ということの魅力はわかる。しかし、マフィアの子分が言うように、「知り合ったばかり」で沈黙を楽しむのは、それは別の話ではないか。知り合って、沈黙は楽しめることは不可能ではないか。
でもな、と思った。相手が魅力的だと思えば、見ているだけで楽しめるかもしれない。会話がなくとも。表情を見ているだけで。あるいは目の動きを見ているだけで。
そう考えると、それは「知り合ったばかりだけど沈黙を楽しめる」ことになるのかもしれない。
でも、それって「相手が魅力的だと思うから沈黙を楽しめる」のであって「沈黙を楽しめるから、素敵な人だと思う」というのは、因果関係が逆なんじゃないか。
なんてことに考え込んでしまい、慌てて、彼女の顔を見ると、微笑で私の顔を見つめてくれていた。