グラスをあげておろすまで
先日、以下のようなツイートを見た。
ドトールでアイスコーヒーを注文して、受け取ると同時に返却口のほうへ歩きながら飲み干し、グラスを置いて「ごちそうさまでした」と言い去っていくサラリーマンを見た。グッときた。
— ウイ (@ui0723) 2017年3月8日
読んだ僕も「グッ」ときた。
というのも、僕たちの人生がここに凝縮されてるんじゃないかな、と少し情緒的に思ったからだった。
グラスをあげて下ろすまで。それが私達の人生。
デートで「再会の乾杯を」とグラスをあげる。そして、まだ中身が半分も残ったグラスがテーブルに残されたまま、舞台はベッドルームに変わる。
飲み会で「乾杯!」とグラスを上げる。そして、どこかのタイミングでグラスが落ちて割れる。宴は終わる。
仕事の大切な打ち合わせの前に、ウォーターサーバから入れた紙コップの水を飲んで気持ちを落ち着けて、グラスを握りつぶし捨てる。
友達と久しぶりの出会いでコーヒーを傾け、中身が冷めるまで過去の時間を共有し合う。
インドでは、寒いバスの待合所で、チャイで身体を温め合う。飲み終わったら素焼きの器を地面にたたきつけて割る。
私達は人生の節々で、飲み物を交わしあい、飲み物を下ろす。
何度もグラスを掲げ、そして下ろす。
ある時、2人は銀座のワインバーにいた。2軒目でほろ酔いで。
- そろそろ帰らなきゃ。
- もう一杯だけ。そのグラスが空いたら帰っていいから。
でもグラスは空にならない。ボトルからルビー色の液体が注ぎ続けられるから。女はそれを知りつつ、グラスを傾ける。
そうして、僕らは、グラスを上げたり下ろしたり。