眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

夢で会えたら

「夢に会いに来て」というセリフや「夢みたい」という表現があるが、それは夢の良い面しか見ていない。夢が、目覚めない夢だとしたらどうだろう。それは、もはや悪夢でしかない。

それを体験したのは、旅行から帰ってきた直後のことだった。飛行機疲れもあり、また風邪も重なり体調を崩していた。いまから思い返せば、それらが原因なんだろう、と考えるしかない。しかし、実際のところは、そんな理由で説明つかないほどの不思議な体験をした。

旅行から帰ってきた翌日に、目覚めたら、そこは夢の中だったのだ。

自分は起きている。起きた場所も自分の部屋。しかし、そこは夢だ、という感覚が残り続けている。そして、微妙に少しだけ自分の知っている世界との違いがそこにはある。

しかし、起きた瞬間は、そこまで冷静に考えられなかった。まず思ったのはこうだ。

「これはなんだ」。

これはどのように説明すれば伝わるだろうか。プールから出たらプールだったという感覚だろうか。あるいは、食事を食べ終わったとしたら、また前菜がレストランから出てきた感覚とでも言おうか。

「なんだこれは」としか表現できない感覚がそこにはある。

夢の中で、それが夢だと気づくことはある。「あ、いま夢だ。目覚めよう」と夢が夢だと気づく。そして、起きる。夢の方が解像度は低い。起きて現実に安堵する。

その感覚が、起きている時に起こるのだ。「あ、これは夢だ。起きなきゃ」。しかし、起きれない。「これは夢なんだ」という感覚だけがある。

しかし、会社が始まる時間だ。「夢だ」と思いながらも準備する。「もしかしたら現実かもしれないから」と思って。悪夢を生きるような感覚だ。

少し解像度が悪い世界に、めまいをしながら服をきる。頭は働いていない。とりあえず手にもった服を着る。

それからしばらく記憶がない。気づけば、翌日だった。「かえってきた」今、あの日のことを確認すると、僕はちゃんと会社にいって、打ち合わせにでていたという。ただ、同僚は「おかしい」と思ったようだが。なんせ、頭がまったく働かないのだ。寝起き10秒くらいの頭のようだった。誰が何をいっているか何も把握できなかった。自分がどこにいるかもわからなかった。

翌日もそのような体験は続いた。「寝れば治る」と思って寝た記憶だけがある。あまりに早くに寝たので、3時くらいに目が冷めた。しかし、目がさめてからも、自分がまだ夢だと思う現実に生きていることに気づく。それに絶望する。「ああ、まだ目が冷めていない」と、目覚めた後に思うのだ。

翌日は6時から出社した。なぜなら家にいるのが怖かったのだ。鏡を見るのさえも怖かった。なぜなら、もしかすると自分は死んでいるのではないか、とさえも思ったのだから。だから、鏡に映らなかったらどうしよう、と鏡を見ることもできなかった。「世にも奇妙な物語」は、みないほうがいい。あんな番組のどうでもいいエピソードが自分に降りかかる。「そんな世界かも」といらぬ想像ばかりしてしまう。

そうして、私は6時に会社に向かう。ただ、お腹が空いた。なぜなら前日は何も食べていないからだ。途中で見かけたスターバックスに入る。そして、スコーンを食べる。しかし、味がしない。「夢だからしょうがないか」と思ったのを覚えている。夢だから、それは味がしないのだ。

夢だな、と思いながら行きていた。ちょうどその頃に、たまたま不思議なことが起こったということも、僕が「夢だ」と思うことに拍車をかけていた。

たとえば、普段は連絡しない人からLINEがきたり、友人のLINEの返信が変だったり(それは今、思い返しても変なのだが、理由はわからない)、会社の入り口が変わっていたり(たまたまオフィスの模様替えがあったようだ)。

また頭が熱で朦朧としているからか、意識のスキップも起こる。たとえばエレベーターを乗っている時に、あっというまにいきたい階につく。あるいは、エレベーターを待っていても何分も来ない。それらは、意識が引き伸ばされたり、あるいは縮められたために起こったのだと思うが、当時の私は、それが「現実」に起こっていることだった。たとえば30階までのエレベーターにのって、2秒でついたら「あれ、おかしいな」と思うであろう。そういうことが、何度も起こったのだ。

だから、僕は「これは夢なんだ」と信じていた。ただ、逃げることはできなかった。「もしかしたら現実かも」という思いが2割くらいはあったし、また、そもそも逃げる先さえもなかった。どこにもいけなかったのだ。だから、仕方なく変わらず出社していた。「なんのためにいっているんだろうな。これで起きて会社にいけば、また同じことを繰り返すのか」と思いながら。

ただ、3日目に起きて、「まだ夢」がそこにあった時に、少し諦めもした。「ああ、僕はこの夢から抜け出せないのだ。ここで生きていくしかないのだ」と。

「もしかしたらいつか目が冷めてくれるかも。起きたら旅行からかえった日の翌日かも」という淡い信念は1割だけもって、もはや私は夢の中で生きることを決めた。

同時に思ったのは親へのわびだった。「自分が知らない間に違う世界にいってしまった。ごめんよ」と。昔にいた世界の親への不幸を少し嘆いた。あるいはその世界では僕はもう死んでいるのかもしれない。死んだらこうして地縛霊みたいに、違う世界を行きていくのかもしれない、なんてことを真剣に考えていた。なぜなら「夢にいきていた」のだから。

ただ、3日目から、ようやく意識の混濁が少しましになってきて、仕事もできるようになってきた。2日目までは出社して会議は出るものの、何も資料はつくれず、何も発言できないというほどだった。今、思い返しても3日目くらいからの記憶はおぼろげながらある。

ただ、それでも、味覚はなかったし、不思議な出来事は起こり続けた。いま思い返せば、よく気が狂わなかったな、と思う。「起きたら夢」というのは、表現はきれいだけれど、実際に体験したら、絶望でしかない。夢から目覚められないようなものなのだから。友人も親とも離れてしまって。味覚もない。不思議なことばかりが起こる。

町中で歩いている人に声をかけてみようかなんて思った。想定外のことをすると、バグが発生して、自分が目覚めるんじゃないかと思ったのだ。ただ、それをするほどの気力さえもなかった。

タクシーにのると一号線に「日比谷通り」と説明がついているのを見た。それをみても「ああ、夢だ」と思うことになった。なぜなら一号線は桜田通りだから、日比谷通りではないのだ。夢が適当に近いものをくっつけたんだろうな、と思った。ただ今、改めて調べ直すと、場所によっては一号線を日比谷通りと呼ぶらしい。そんな夢にいきている人を困らせるような命名はやめてほしい。

自動販売機でコーヒーの炭酸をみても「夢だ」と思った。なぜならコーヒーの炭酸なんて売ってないからだ。「クリエイティブな夢だな」と思ったのを覚えている。しかし、あればBOSSの新製品らしい。これも、本心から「勘弁してくれよ」と思う。そんなものを出すと、夢の中の人が混乱するだろうよ。

あの頃、気が狂いそうな自分をなんとか抑え込めていたのは、わずかばかりの希望だろうと思う。僕は「いつか目覚めるんじゃないか」という希望をずっと持ち続けていた。

3日目も現実に目覚める努力をした。友人の紹介する病院で点滴を売った。別の病院で診断を受けた。点滴は意味がなかった。だって夢から目覚めるための点滴なんてないのだもの。病院の診察では、血液検査をされた。しかし、結果は何もなかった。そりゃそうだ。「夢の中にいる」という抗体なんて存在しないのだから。

少しでも、僕は諦めずに、現実に戻る方法を探していた。

4日目だった。僕は、現実との結節点を見つけた。そう。友人だった。それまで、LINEも1日に2回見るくらいだった。感覚でいえば40度の熱がでているくらいの状況だ。そういう時に人はスマホなんて見ない。ただ、4日目に少し落ち着いて、僕は信頼する友人に連絡をした。ご飯を食べないか、と。彼になら話をできる。そして、彼に「これは現実だよ」といってもらえるかもしれない。けれどLINEは無情だった。「今日は無理だ」という返信。僕は、「夢だもんなしょうがないな」と思って、寝てしまった。

5日目に彼と会うことができた。彼にその話をすると、笑って、「現実だよ」といってくれた。そして、僕は、行きている世界を「現実なのか」と思った。「でもこいつは夢の中の友達だから嘘をいってるかもしれないな」とも思ったけれど。

この頃になると、熱も下がったのか、ようやく意識が戻ってきて、仕事も少しできるようになってきた。だから、友人の言葉もある程度、受け止めきれた。僕は、自然とその世界を現実なんだと受け止めはじめてきた。

正確には「自分と少し違う世界だけど、まぁこの世界でいきていくし、現実に近い世界なんだろう」という諦観に近い受け止め方だった。この頃からも味覚はようやく戻ってきた。

それから、しばらくは脳はおかしかったが、おかしくなって1週間をすぎるころには、その変な部分もなくなってきた。熱が下がったのだろう。あるいは、なにかの感染症にかかっていたのかもしれない(診断で、「白血球が少ない。異常です」と言われた)。

そして、いま、現実に戻ってきた喜びをどこに残したいため、ここに記す。

ただ良いこともあった。あんな悪夢ような経験をしたら、現実の辛いことや大変なんて、ほんとにどうでもいい誤差のレベルになった。僕の髪にいま白髪がないのがおかしいほど(実際は多少はあるが)、しびれる体験だった。人は辛い経験をすると、一晩で髪の毛が真っ白になるということがあるというが、それになってもおかしくないほどの体験だった。

「自分は死んだ」と認めるような出来事だったのだから。

とはいえ、良い経験とは全く思えない。少なくとも「夢で会いたい」なんて僕は今後、二度と言わない。