ナッツアレルギー
飛行機に乗っていると離陸前にこのようなアナウンスがあった。
「この機内には、ナッツ類に強いアレルギーをお持ちのお客様がいます。機内ではナッツ類を召し上がらないようにお願いします」と。
飛行機は少なからず乗っているけれど、このようなアナウンスは初めてだったので「へー」と思った。いつも離陸前に寝ているから聞いていないだけかもしれないけれど。
それは、2つの思いがそこにはあった。
- どれくらい強いアレルギーなんだろう。どれだけ大変なんだろうというその人への想像
- みなで力をあわせてナッツを避けるという行為について
その人は人生でナッツは避けていきているだろうけれど、とはいえ、いたるところにナッツはある。バーのおつまみ、機内でのスナック、そして、レストランでのアパタイザー。
どれくらい彼、ないし、彼女がナッツを苦手なのかわからないが機内でのナッツを惨殺するほどだから、かなり敏感なのだろう。おそらく同じ部屋でナッツを食べれないくらい。そう考えると、その人はなかなかバーやレストランに行きにくいだろう。
おそらく予約する時に「ナッツはでますか」と聞くだろうな、と思った。ナッツの種類でも苦手なナッツはの度合いは変わるのだろう。ピーナッツかカシュナッツ、あるいは、アーモンド。
その人のナッツを避ける人生を少し思った。
そして、機内で、全員が力をあわせてナッツを食べないという状況を思った。
ただ、もし、もし、これがアルコールだったらどうしたのだろうか。機内のみなに我慢させるのだろうか。それはさせないだろう。ナッツという絶妙に軽視される存在だからこそ、そのアナウンスがあったのかもしれない。あるいは水だったらどうだろうか。水アレルギーの人なんているかどうかわからないけれど。
でも1人の人のために皆で力をあわせるというシーンは良いなと思った。もし僕がナッツが大好きならばいらっとしただろうが、とはいえ、その人の苦労を思えば「8時間くらい我慢するか」という気分になったものだ。その人のためにしばらくナッツを我慢することなどたやすい。お安いごようだ。
我々は1人では生きているわけではない。お互い助け合って生きている。
妊婦には席を譲るし、子供が事故りそうになったら助ける。女性の扉は明けるし、老人がスイカでもたついていたら代わりに押してあげる。外国人が道に迷っていれば「大丈夫」くらい聞いてあげるし、道で初心者マークの車が走っていれば、道を開けてあげる。
だからこそ、我々は力をあわせる。自分1人で生きていけないというのをわかっているから。
いつか自分もニューヨークで落とし物をして困った時に助けられた記憶があるから、自分も困っている人がいれば助けてあげようと思う。
そうして僕達はお互い、助け合いながら生きている。こんな「ナッツを食べない」という消極的なことでも僕たちはその環の中に入ることができる。
「そういえば」と、携帯電話のアプリを探すと「アレルギーチェッカー」というアプリをみつけた。前の彼女が、卵にアレルギーがあった。そのため、お菓子に卵が含まれていないかを確認するためにダウンロードしたアプリだった。
飛行機に乗る前にコンビニで買ったチョコレートのバーコードを読み取ってみた。すると、その食品にはナッツが含まれていないことを知った。よかった。
いつだって可笑しいほど誰もが誰か、助け助けられて生きるのさ。口ずさんでみた。