寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

バンジージャンプの価値

バンジージャンプ、というものがある。高いところからゴムの命綱をつけて飛ぶというものだ。

日本でもっとも高い竜神バンジーは茨城県にあり、100メートルの高さを誇る。竜神バンジーで年間1万人ほどの人が訪れているとのことだから、日本中では10以上のバンジーがあると考えると(実際はもっとあるだろうが)、最低でも10万人以上の人が毎年、飛んでいるということだろう。流行りだしたここ10年の延べ数でいえば100万人。そう考えると、日本では100人に1人程度は飛んだことがある。

このバンジージャンプの妙味はどこにあるか。

1つは、ジェットコースターと同じで、恐怖というものを楽しむという行為だろう。ある種の人間においては、スリルがそのまま快楽や楽しさに直巻するため、その行為を楽しむことができる。アドレナリンが出て、その興奮を楽しむ。この快楽ゆえにエクストリームスポーツはますますはやる。もっとも、その感覚を持ち合わせていないものにとっては地獄でしかないのだが。

あるいは「対抗恐怖」という概念も提唱されている。これは、自分の恐れに打ち勝たなくてはならない、という心理状態だ。スリルを楽しむのではなく、怖いものに直面することで自分の強さに対面し安心するという行為だ。根本的にスリルと楽しむものとは異なる。この心理状態の背景には、自分の不安状態がある。過去にトラウマを持った人がそのような状態になることが多い。そのような不安状態を打ち消すために、自ら恐怖に退治する人たちがいる。いわば、バンジーを飛ぶことで自分の勇気を確かめ、そして、自分の心理を安静に保つのだろう。

もう1つの価値は、バンジージャンプが持つイベント性だろう。バンジージャンプが持つ独自性を非日常として楽しむ行為だ。知り合いでは「誕生日に友達にサプライズで予約されていた。誕生日に車に乗せられて、目隠しされて、降りたら吊橋だった」という話を聞いたことがある。なかなか良い友達をもったものだ。また、テレビの罰ゲームでのジャンプもこれに当たるだろう。

しかし、本質的にバンジージャンプが持っている価値というのは「死の疑似体験」である。まず、高さ数十メートルの高さに立つということ自体が、身体が死を意識することになる。あなたが頭で理解しようとしようまいと、本能的に身体の細胞が死を意識する。

飛ぶと尚更だ。身体の細胞は、足にゴムがついているなんて知らない。普通に考えれば「死ぬ」と身体が理解するだろう。時には過去の走馬灯さえも走るかもしれない。

以前、「恋人と別れた時に、吹っ切れるためにジャンプした」という話を聞いたが、これはまさに、バンジーが持つ死の疑似体験性を活用した意識転換だろう。髪を切るよりもよっぽど合理的だ。

バンジーで一度、死を覚悟した身体は、それまでの身体ときっと変わっている。どう変わるかは説明つかないけれど、きっと、何かが変わっている。

村上春樹ノルウェイの森

- 死は生の対極にあるのではなく、生の一部に含まれているのだ

といった。もしかするとバンジーをすると、その意味が少しわかるのかも、しれない。

あなたの身体は死を体験したことのある身体ですか?