雪の思い出
この週末、日本列島に強烈な寒波が訪れた。東京では、晴れているのに雪が降った。日本海側では大きな積雪となった。
テレビで雪のニュースを見る度に思い出すことがある。私の生まれ育った町の雪だ。
北陸のその町は、雪がよく振った。私が住んでいた町は山間部の田舎だったからなおさら雪が降った。
雪が振ると、電車が止まる。いまではもう廃線になってしまった線路だ。けれど、当時は私の小学校までの通勤路だった。
当時は、私だけが電車で学校に通っていた。だから、雪で電車が止まると、私だけが学校にいけないということもあった。
東京の人たちは「雪が降ったら学校休みになって嬉しかったよね」と楽しそうに話をする。でも、私にとって、雪は恐怖でしかなかった。私だけが雪の中に取り残されているような気がした。
雪の静寂の中に包まれたその町では、雪が降ると時間さえも止まってしまったようだった。
ある時、私は雪に怒りをぶつけた。学校にいけない恐怖を何かにぶつけたかったのだ。お湯をやかんで沸かし、雪に注いだ。親が祖父母のところにいっている時を見計らっての抵抗だった。お湯を注いだところの雪は、しゅっと溶けていった。少し私のもやもやは解消された。けれど、あまりにも広大な雪に、自分の無力を痛感することともなった。
今、思い返すと、あの雪は白ではなかった。あの雪は灰色だった。家の庭や役場の屋根などの町一面を覆っていたものは決して白いものではなかった。くすんで、冴えない灰色だった。
それは私の記憶が、白い雪を灰色にしただけなのかもしれない。ただ、私の記憶では、あの雪は灰色だった。
いまでも、東京で雪が降ると、手のひらにのった結晶を眺めてしまう。白い雪だよね、と。雪は白いよね、と。