寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

エレベーターの残り香

残り香に魅せられていた。

たまに自宅マンションのエレベーターで、その残り香があった。朝の出勤時や仕事から帰ってきた深夜に。甘く優しい香りで、仕事帰りにその匂いをかいだ時はとても癒やされたものだ。

そうして、僕はその香りに恋をしていった。こんな匂いを身につける人はどういう人なんだろう、と。もしかしたら想像している人とは全然違うかもしれない。良い匂いを付けているからって、素敵な人とは限らない。あるいは結婚さえしているかもしれない。それでも、僕はその匂いの持ち主に出会える人を願っていた。

そして、その日はやってきた。マンションの防火装置が壊れたらしく、夜の10時にもかかわらず、その装置が鳴った。なんだなんだ、とマンションの人たちは外に出てくる。その時に、横にいた人から匂ってきた香り。僕がいつも追い求めていた香りだった。

「こんな時間に大変ですね」と僕は思わず話しかける。思っていた人とは違ったけれど笑顔がチャーミングな人だった。

そこから交際までかかるのに時間はかからなかった。

彼女と彼女の匂いと一緒に過ごした期間だった。僕の部屋から立ち去った彼女の残り香をベッドの上で見つけ、その匂いをかぎながら眠ったものだった。ときには彼女が身につけているマフラーを借りて、その匂いで1日過ごしたこともある。お風呂上がりの無臭よりも、香水をつけている時の彼女に欲情した。僕は彼女の匂いが大好きだった。

別れの原因となったのもその匂いだった。いつからか彼女はその香水を身につけるのをやめた。「どうして」と聞いても、彼女は「気分が変わったから」と言っていた。香水好きの彼女がそんなことを言い出すのはおかしい。香水を変えるならわかる。でも、つけないなんて。

そうして、僕は「男といるのをみたんだけど」とかまをかけて、彼女の浮気が発覚した。相手は既婚者だった。だから、彼女の匂いが服につくのを避ける必要があったのだ。奥さんにばれないように。

彼女と別れてから1年たつ。マンションからは彼女の匂いは消えた。

でも、たまに街であの匂いとすれ違う。僕は思わず振り返る。でも、そこに彼女がいるわけもなく、知らない女性が歩いている。彼女の残り香を探している僕がいる。

彼女の匂いはなかなか消えない。