眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

空気を吸うのさえも嫌がる潔癖症の彼

潔癖症な人だった。

まず、電車の吊革を持てなかった。だから一緒に電車を乗る時には、彼を支えたものだ。

「公衆トイレではどうしてるの?」と聞いたら、お尻が便座につかないように浮かせているらしい。その時に私は、彼の太ももの筋肉が発達していた理由を知った。

外食は好まなかったが、どうしても食べないといけない時は、自分のお箸を持参していた。でもグラスに少しの汚れでもあると気になって、口をつけれないような人だった。それでも、店員さんに「グラスを変えてくれ」というほどの強さも持ち合わせてなかった彼を見ていると、彼が悪いのではなく、彼を潔癖症にした世界を憎んだものだ。

私とキスをするのにも2年かかった。それもフレンチキスだ。小鳥のさえずりのような。それでも、そのキスがとても嬉しかったのを覚えている。

彼はよく石鹸で手を洗っていた。何か不衛生なものを触った時に、彼は1時間ほどかけて手を洗っていた。だから、冬は手がかさかさだった。脂分がなくなっていたのだろう。虚ろな表情でただ無心に手を洗っていた。

中学生時代はバスケットボールクラブに入っていたらしく、そのボールを触るのが嫌で、逃げていたそうだ。だったらバスケなんてしない方がいいのに。でも、「手をけがした」という理由で軍手をはめてすることもあったとか。

日を経るごとに彼の潔癖症は度をましていった。最近では、「他の人の空気さえも不潔だ」と、空気を吸うこともやめた。最後は、部屋で空気清浄機の空気を吸うか酸素ボンベから空気を吸うほどだった。

だから、彼がいま「こんな清潔な場所があったなんて。もう出たくない」という気持ちはわかる。伊達に20年も一緒に暮らしたわけじゃない。

彼の苦労をしっていればこそ、彼の今の状況が彼にとってありがたいというのもわかる。

たとえ、それが隔離された真っ白な病室だろうとも。

おにぎりカフェ

近所に「おにぎり屋さん」ができた。美味しいおにぎりを売っているお店だ。昆布とか、たらことか。なんだか気の利いた具の。1個200円くらいとお安い。

お米は、玄米と白米を選べる。ノリもしっとりしていて美味しい。きっと良いノリを使っているんだろうな、と思う。

そのお店はよくある持ち帰り専門のお店ではなく、店内で食べることもできた。3つだけのテーブルで小さいけれど。

何度か買って帰ったことはあるけれど、店内で食べたことはなかった。1人で店内で食べるのは、なんだか恥ずかしがったのだ。だから「お茶しよう」と友達と話をした時に、「そうだ」と、この店を思い出した。おにぎりを食べながらのお茶ってどうなのかな、と。

当日。私はたらこのおにぎりを頼んで、彼女はそぼろのおにぎりを頼んだ。そしてほうじ茶を頼んだ。

おにぎりを食べながら会話をした。カフェでお茶するよりも静かで、そして、なんだか落ち着いた時間だった。

帰り際、自分が普段よりも過去の話をしたことに気づいた。大学時代の頃や若い頃の。

もしかすると「おにぎり」が持つ子供の頃の記憶が、私の気持ちをメランコリックにしたのかもしれない。遠足でのお弁当のおにぎりや、母が留守の時にテーブルにおいてあったおにぎりの記憶を呼び起こして。

そして、コーヒーを飲んでる時よりも、なんだか情緒的になったのかもしれない。

仕事の話は、おにぎり屋さんでしないほうがいいな、と思った。でも、将来の旦那さんとは一緒にいってみたいな、と思った。

次回のランチ

会社を辞める人がいて、一緒にランチをした。

「なんで辞めるの、これからどうするの」といった定形的な質問を繰り返した。営業の仕事をしている彼女はキャリアアップのため、外資系の会社に移るそうだ。すごいな、という感嘆とともに、軽やかに会社を移れることに少しの嫉妬を覚えた。

そして日常会話になる。でも、やっぱり普段とは違う。もしかすると今日が最後かもしれない、と思うとなんだか寂しさがわいてくる。あんまり仲が良かったというわけではないけれど、それなりに好きなところもある子だった。

会社が変わると、よっぽど仲が良い相手ではない限り会う機会は極端に減る。それって、お互いの人生から、お互いが死んでしまったのと一緒だな、と思った。

Facebookで近況が流れていようとも、とはいえ、もう交わることはない。

でもそれを言うなら、電車で隣に座った人とも、もう会うことはないかもしれない。一期一会。電車に乗るたびに別れを悲しまなければいけない。話をしたことも、目線も合わしたことのない相手だけど、同じ空気くらいは吸った。

でも電車に座った人とランチはしないしな。やっぱり、最低限ランチをするくらいの人じゃないと、別れとはいえない。

帰りは、私がランチをおごった。相手の方が1歳年下というのもあったけれど、なにより餞別代わりのパスタだ。

すると彼女は「じゃあ、次回は私がごちそうさせてもらいますね」と言った。

可愛らしいセリフにさすが営業だな、と思った。会社が分かれてもこれからもよろしくというニュアンスを込めている。

同時に、もっとこの子と話をしておけばよかったな、と思った。もう会わないだろうな、と思ったけれど、またランチをしてもいいな。フリーランチだし。

そうか。あわない間は、自分にとって相手は死んでいるけれど、「久しぶりにご飯いかない?」と呪文で生き返らせることもできるんだ。そっか、と思った。

その目の下にあるもの

同僚に「くまがひどいね」と言われた。

昨夜は寝るのが遅かったからだろう。期末は何かと慌ただしい。

トイレの鏡で自分のクマをまじまじと見たが「クマだなぁ」と思った。かわいくない。なんだかお化けみたいだ。そして疲れている感がすごい。

くまという名前もよくない。熊を連想してしまう。かわいくない。

もっとかわいい名前だったら、このクマも、可愛がられたのかもしれない。たとえば「イルカ」とかどうだろう。

「わぁ、イルカでてるね」と言われる。なんだかうれしい。イルカに乗って海に行きたい気分になる。何よりかわいい。

でもな。

でも、彼氏に「クマでてるよ」と言ったときに「ガオー」と彼が言うのが好きなのに、イルカだと、「ガオー」はしてくれないな。悩ましい

形容詞が言えない男

彼は形容詞が言えない人だった。

意図的というよりも、生得的に形容詞という概念を持っていないようだった。

たとえば、夏の暑い日には「暑い」と表現するのではなく、「スタバで涼んでいこう」と表現する人だった。試験後の徹夜明け「眠い」というのではなく、「帰って寝る」という人だった。

形容詞を言うのではなく、そこに紐づく動詞で表す人だった。

実は彼と付き合うまで、彼は形容詞を言わない人だなんて気づかなかった。普通に生活している分には、形容詞を使って無くても違和感がないのだ。女子高生みたいに「かわいい」なんて言わずに生きていけるのだ、驚くことに。

だから、付き合ってても、しばらくは気づかないほどだった。

「この服、似合う?」と試着してみても「良い悪い」ではなく「買っちゃいなよ」と言ってくれたし、辛い麻婆豆腐を食べに行って「辛いね」と言っても「水、飲む?」と言われただけだったから。

気づいたのは、私が手料理を作った時だ。

私は「美味しい」という1つの形容詞だけを待っていたのだけれど、彼からその言葉は出なかった。「いくらでも食べれるよ」という表現だけだった。その時に私は「美味しかった?」と聞いて、彼が形容詞を言えない人間だと知ったのだ。

幸い、彼の中で「好き」という言葉は形容詞ではなかったようで「好きだよ」と言ってくれたけれど。

同じように彼が好きと言っていたのは彼の実家で飼っていた犬だった。マメ、という名前の柴犬だった。彼が小学生の頃から一緒に住んでいた犬で、あまり言葉をしゃべらない彼の話相手だった。死因は老衰だった。

人が「悲しい」という表現に浸る時に、彼は、悲しいという形容詞を持たなかった。

その代わり、1人で毎日1時間、バッティングセンターでボールを打ち続けた。彼にとって悲しいというのは、そういう行為だったのだ。悲しいという感情を誰にも打ち明けられずに、誰にも言えずに蓄積された悲しさは、大きなスイングによって吐き出された。

彼にとって、悲しいという表現は、孤独で、強く暴力的なものだった。

私は恋をする能力が欠けている

私は恋をしたことがない。

中学生や高校生の頃から、周りは"恋"というものにわーきゃーを言っていた。

- 誰々君と目があった

- 誰々君と付き合うことになった

- 誰々君と相性いいんだ

いま考えれば、「目があっただけで喜ぶ」「男性の触ったハンカチを触って喜ぶ」「漢字の字数で相性占い」だなんて、新興国でもてはやされる新興宗教みたいな非科学的さだ。馬鹿らしい。

大人になっても状況が。大きくは変わらなかった。悩みがより具体的になっただけで。

- 彼からLINEがないんだけど

- 彼のことばっかり考えちゃって食事が喉を通らない

- 彼にふられたら死ぬ

彼女たちのそのような振る舞いを考えると、私には、そのような「恋をする能力」が欠けていたんだろうと思う。

私は男性のことで頭が占領されることはなかったし、心が乱されることもなかった。「一緒にしゃべりたい」と思うような男性さえいなかった。

恋をする能力の欠如だ。

でも、1人だけ、たまに今でも思い出す男性がいる。

それは、私が幼稚園児の頃だ。親と動物園にでかけた。関東の人には名前も知られていないような小さな動物園。イルカがいる動物園。いま、まだあるかどうかもわからない。

そこで、私は両親とはぐれた。母がトイレにいっている時に父親の目を盗んでどこかにいったらしい。私は覚えていないけれど。きっと遠くに見えたキリンかなにかを見たかったのだろう。

私が覚えているのはその後のことだ。気づけば、自分が1人だけ。親がいない。それなりに混んでいた動物園なので、探しても知らない人ばかり。

子供は湧き上がってくる不安な気持ちと涙をなんとか押しとどめていた。

そんな時に「だいじょうぶ?」と声をかけてくれた男性がいた。

「迷子?」と聞いてくれ、私の微かなうなずきに「そっか。じゃあ一緒に見つけよう」と私の手をひいてくれた。その手の暖かさは今でも覚えている。

そして、案内センターまで連れていってもらった。そのセンターまでの道中には「大丈夫。すぐみつかるからね」と言いながら、ジブリの歌を歌いながら、大きく手を振って私を連れていってくれた。

「大丈夫」という彼の一言は私を大いに勇気づけた。当時は大人というものは頼れる完璧な人間だった。大人はレジでお金も間違うことにないとさえ思っていた。そんな大人の男性が「大丈夫」といってくれるんだろうから、きっと大丈夫なんだと安心できた。

結局、園内のスピーカーによってセンターに訪れた両親と会うことができた。

いまでも、たまにあの人のことを思い出すことがある。もしもう一度あえたらちゃんとお礼をしたいな、と思う。

私にとっての恋はそれなのかもしれない。あの暖かい手のぬくもりと頼りになる大きさの手が私にとって恋の代名詞だ。いまでも不思議なことにあの男性の手のぬくもりだけは忘れることがない。キリンのことは一切覚えていないのに。

私を恋の暗闇から抜け出させてくれるのは、そんな手なのかもしれない。

恋をしなくてもいいから、誰か男性の人と手をつなぎたい。それを恋というのだろうか。

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今週のお題「恋バナ」より

バスの最終停留所にある家に生まれて

私の家は、高校からバスに乗って30分乗った場所にあった。バスの最終停留所だった。

駅から歩いて帰るには遠いので、私は高校にバスに乗って通う日々だった。坂の多い町だから自転車はあまり乗らなかった。

バスのいい思い出はあまりない。寒い冬に待つバス停は辛かった。カバンを持つ手がかじかんだ。終バスは22時頃だったから、高校生の頃はみんなより早く部活から帰る必要があった。

駅からバスにのっても、1人1人と降りていって、最後はだいたい私1人になった。自分だけが取り残された気持ちになった。私だけが遠い場所に住んでいる。1人のバスは悲しかった。私のためだけに走るバスにも申し訳なかった。1人のバスは寂しさしかない。

それでもバスに乗り続けないといけなかった。それに乗らないと私は学校にいけなかったのだから。

大学生になって1人暮らしをはじめた。そして、バスに乗らずに生活できる日々にほっとした。

電車は素晴らしかった。定刻通りに来る電車。気を使ってバスを押さなくても自動で駅に止まる電車。電車は気を使うことがなかった。

でも、そんな私が結婚した人がバスの運転手だったなんて、私自身、笑ってしまう。

あんなに嫌っていたバスなのに。でも、やっぱり私はバスに守られていたのだと思う。バスがなければ、私は日々を送ることはできなかったのだから。

だから、彼が、私以外の人をバスに乗せることになんだか嫉妬してしまうことも許して欲しい。こんなこと彼には言わないけれど。

なんだか悔しく、いつか黙って彼の運転するバスに乗ってみよう、と企んでいるのだ。