眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

結婚はポーカー?ルーレット?

「結婚て、Winner takes allじゃん。最後の総取りじゃん」

と、イーピンを切りながらタロウが言う。

「つまりさ、人生では何人かと恋愛するでしょ。でも、最後には1人の人としか結婚しない。少なくとも日本ではね。

そうすると最後に結婚した人だけが幸せで、それまで付き合った人たちは、その幸せは分け与えられないじゃない。養育費ももらえないし、子供もうめないし。

でに、それまでの恋人との恋愛で得た経験を使って最後の人と結婚するわけでしょ。それまでの恋人は踏み台になってるんじゃん。

そんなのっておかしくない」

次にサンソーを切ってタロウが言う。

「それよりもさ、『いままで付き合った人にも、30%は、遺産の相続を渡す』みたいなことがあってもいいんじゃないの。今までの過去の恋人のおかげでその人がいるんだからさ。

あるいは、結婚する時に、過去に付き合った人たちにはお礼で金一封渡すとかの文化があってもいいんじゃないの」

最近、恋人に振られたばかりのタロウは荒れている。結局、通らばの牌は通らず振り込んだ。

弱ったタロウに畳み掛けるように、恋人がいて幸せな僕は言い返す。

「いや。過去の恋人が無駄ではないでしょう。いい思い出だったと思うよ。だから、別れても、『一緒にすごした』という時間は、かけがえのないものなんじゃないの。

そもそも、付き合ってる時にお互いは金と時間を払い合ってるじゃん。そこで、お互いに対価は支払ってるんじゃないの」

「じゃああれか。結婚はルーレットじゃなくてポーカーということか」

つまり、タロウが言いたいのはこういうことだ。

ルーレットは最後に玉が落ちた数字が全てだ。他の数字は意味がない

これがタロウという結婚観だ。最後に落ちる数字が結婚で、それ以外の数字はボールが通過するための演出であり意味がないもの。

対して、僕にとって、今までの恋愛観はポーカーだ。1回1回の恋愛で費用を払ったり、良い思い出を作ったりしている。それは、ポーカーの1プレイのように、その中で、コインをコールしたり、勝って回収したり、そのプレイ内で、費用と報酬は得ている。そして、たまたま出た4ペアとかが結婚にあたるのだろう。

いや、もしかしたら、結婚はブラックジャックかもしれないな、と思う。

この人とは結婚するんだ、と旅行や食事をおごる。そして、プレゼントまで買って、掛け金をどんどん上げていく。でも、最後の1枚は相手が握っている。その1枚によって、自分の手札が21を超えてバストするかもしれないし、うまく21のブラックジャックを引けるかもしれない。つまりいくらプレゼントにお金をかけても振られるかもしれないし、うまくいけば結婚うできるかもしれない。

今までの恋愛で得た経験をダブルダウンでひいていく。

ダブルダウンとは

カジノゲームのブラックジャックにおいて、プレイヤーだけに認められる特別ルールです。 これは最初の2枚のカードを見てから賭け金を2倍にする事が出来、その後もう1枚だけカードを引くことが出来るというルールです。

 結婚って、そういうものかもしれないな。時には、ディーラーと対戦相手の両方が彼女であるというイカサマの戦いであることがよくあるけど。

負ける勝負だとわかっていても、魅力的なカードには、レイズをせざるを得ない世界。恋愛はイカサマが許されているカジノなのかもな、と思った。

「タロウ、それロン」

 

絶望とローズマリー

つまらない会食の店を出ると雨。朝の天気予報では雨なんて言っていなかったのに。傘はない。

お店の傘を借りて、お客さんをタクシーに乗せて見送る。そして、今日は、私もタクシーで帰ろう、と思う。

月曜日からくたくただから、少しの贅沢。領収書は通るかな。

タクシーにのりながらぼーっとする。携帯を見るほどの力もない。ただ、窓から雨の降る恵比寿の街を眺める。ロストイントランスレーションのシーンを思い出す。

恋人とのゴタゴタ。大量の仕事。得意でないお酒のアルコール。全部が車に揺られて混ぜられる。タクシーに揺られながら寝たいけど、疲れすぎていて、眠れない。タクシー内だから身構えているのかも。

家に帰ってからすぐに眠れたらどんなに楽だろう。でも、気が滅入ることに、これから資料を作らないといけない。しかも、明日は9時出社だ。

絶不調、という単語が思い浮かぶ。

30分くらいのタクシーに揺られ、ようやく家につく。そして、3500円を払う。

傘もないから、マンションの入り口まで駆け足で走る。エレベータにのって部屋に入る。

そして、気づく。パソコンを会社においてきたままということに。

パソコンがなければ仕事にならない。

これから、タクシーで往復1時間かけて会社に戻る。その道のりを考えると、絶望的な気持ちになった。絶望という感情を表現するならば、いま、まさに私の感情だろう。

何もかも投げ出して眠りたい。でも、私は自分自身がそんなことをしないことを知っている。それも含めて絶望だ。もっと楽に生きることができればいいのに。

私は、脱いだばかりの靴下を履き直し、玄関を出る。

絶望は日常のいたるところに口を空けて待っている。まるで脱げ捨てられれた靴下のように。まるで月曜日の突然の雨のように。

帰ってきたら、とりあえずゆっくりと湯船に浸かろう、と思う。そして、こんな時のために買っておいたローズマリーの入浴剤を入れよう。全部、それから考えよう。

私は絶望の日常を生き抜くための知恵を持っている。そんな簡単に絶望の穴には落ちない。

 

 

宮益御嶽神社にて

学校でなぜ手のつなぎ方を教えてくれないんだよ、と思った。微分フランス革命よりも重要だろうよ。

今日は2回目のデート。渋谷のデート。電車で40分揺られて渋谷につく。

まずはセンター街を散歩。そして、そこから少しはずれたところにあるゲーセン。UFOキャッチャーとコインゲーム。そして、プリクラ。プリクラの時に少し手をつなげるかと思ったけど、駄目だった。「手をつないで」っていうポーズがあればよかったのに。

そこから、ぶらぶらと渋谷を歩く。おしゃれなカフェや喫茶店を眺めながら歩く。

僕はみっちゃんの手をつなぎたいけど、人が多くてダメだ。もっと人が少ないところじゃないと。

座りたいね、と彼女が言う。1時間以上も歩きっぱなしだ。事前に調べておいたカフェに向かう。

「コーヒーが美味しいカフェらしいよ」と僕は言う。

15分歩いて向かったそのカフェは満席で。

しょうがないから、他にカフェを探す。でもエクセルシオールも満席で。週末だからかどこも混んでいる。

「あ、神社だ」と彼女が言う。

渋谷に神社なんてあったんだ。「宮益御嶽神社」と書いてある。いってみよっか、とみっちゃんが言う。

急な階段を登った先には、神社があった。お賽銭を入れて、お願いごとをする。「今日、彼女と手をつなげますように」。

もし、この神社の境内にベンチがあれば、手がつなげたのだけれど、ベンチはない。残念だ。

そして、神社を後にして急な階段を降りる。すると、隣のビルが目に入った。

そこは、どこかのオフィスの休憩所のような場所だった。おばさんが制服で座ってコーヒーを飲んでる。土曜日なのに出勤してる。そして、みんなが休日を楽しんでいる中で、働いている。

僕は、なぜかそのおばさんに「何してんの。早く手をつなぎなさいよ。私なんて休日出勤してるのに!」と言われているような気がして、思わず、彼女の手を繋ぐ。

「危ないから」

みっちゃんは少し驚いた顔をしたけれど、手は離さずにいてくれる。僕たちはそのまま渋谷の雑踏に手を繋いだまま出ていく。指の絡ませ方がわからないけど、とりあえず繋ぐ。

あとで、あの神社にお礼にいかないとな、と思った。お願いごとを早速叶えてくれるなんて。でも、あの神社は恋愛にも効くのかな。

「みっちゃんは、何をお願いしたの」と僕は聞く。

みっちゃんは少し笑って、手を強く握り返してきた。

自動運転は事故は防げても悪意は防げない

まさか、「そんな偶然が」という思いだった。

その日、私は、40代のお客さんの接客をしていた。自動運転カーの試乗をしてもらい、私は助手席で話をする。実際に乗ってもらって、購入を後押しする。

運転中に「ブレーキを我慢してみてください」という。信号で前が赤になる。運転手は、ブレーキを踏みたいけど我慢する。ぶつかりそうになると車が自動で止まる。運転手は「すごい!」と感動する。私は「でしょう。これで、もう事故をすることはありません」と我がことのようにいばる。

この経験は、運転手の心理には負担をかける。でも、この経験をすると、車の購入率が段違いにあがった。人は、実際に便利さを体験するまで、その良さを気づかないのだ。

そんな中、信号で止まった時に、私たちの車の前を横切ろうとする男がいる。5年前に私の前から消えた男だった。5年たっても忘れることのないあの顔。

私を弄び、消えた男。

その刹那、私は叫んでいた。「いま、思い切りアクセルを踏んでください。止まりますから」。私の突然の大声に、お客さんは躊躇する。

「早く思いっきり!」私は続けて叫ぶ。

お客さんはパニックになり、アクセルを踏み抜く。車は急発進する。そして、その男を跳ね飛ばす。まるで、パルプフィクションのように。

男は死ななかったが、大怪我をおった。

私は業務上過失致死に問われる。

私は「罪を償いたいと思います」と言った。奴のような男を世の中で生かしていた罪を償いたいと私は思った。私が5年前に殺しておくべきだったんだ。

「お詫びの手紙をかきたいので」というと、弁護士は奴の住所を教えてくれた。どうやって、罪を償おうかと考えながら、Google mapで奴の住所を調べる。前の道は車1台くらいしか通れない道だ。好都合だ。自動運転カーが、自動で人を轢き殺した時に、それは誰の罪になるのだろうか。

------------------------------------------------------

以下の記事から発想を得ました。

»「ブレーキ我慢を」と指示…自動運転車で追突 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

革命は食事の後で

パスピエさんというアーティストの歌に「ヨアケマエ 」という歌がある。

その歌で、とてもセクシーな歌詞がある。

革命は食事のあとで

というフレーズ。

文脈はよくわからない。ただ、そのフレーズ単体が持つパワーは圧倒的だ。

食事の後に行う革命。それは比喩なのかもしれないし、あるいは、本当の革命を意味しているのかもしれない。

しかし、どちらにしても、セクシーである。戦の前に肉にかぶり付くジャンヌ・ダルクを想起させるような。

革命という大事なことは、食事して、腹ごなしをしてからするものなのだ。多分。

そんなことを「トランプ大統領が、習近平とチョコレートケーキを食べながらシリアを攻撃した 」というニュースを聞いて思い出した。この場合、しいていえば「戦火の報告は、チョコケーキの後で」だろうか。もっとも、これは実際の「革命」に近い話だから、セクシーさはないけれど。

どのような革命は食事後に起こるべきであろうか。

それは、恋の始まりかもしれない。相手を口説くのは、食事前からはしない。食事中もしない。食事後からである。誕生日のサプライズだって、食事後だ。プロポーズという革命だってあるかもしれない。2人の関係性をひっくり返す革命だ。

時にはそれは転職の報告かもしれない。あるいは、上司への下克上かもしれない。または、新事業の共有だろう。いずれにせよ、革命は食事中なんかにするものじゃない。食事後にされるべきものなのだ。

革命は、ナプキンで唇を拭いて、コーヒーで胃を落ち着かせた後に行うのだ。多分。

躊躇なく、容赦なく。

人生で革命を起こす時ように覚えておきたいフレーズである。

迫りくる尿意との戦い

「空気読めよ」と、これほど強く思ったことはない。

私は目で「トイレ行きたい、トイレ行きたい」とアイコンタクトを送る。すっと目線をトイレに送る。カウンター席の端にある扉に目を送る。

でもこいつは気にせずひたすら喋る。私に席を立つスキを与えない。港区では最近、甘酒が人気だとか。それは港区は関係ないんじゃないか、と思うけれど、それよりもトイレに行きたい。

会話の途中で席を立つのって、まぁまぁの度胸がいる。それだけの度胸は私にはない。

そんなことを思っているとお店の人が「何か飲みますか」と聞いてきてくれた。

ナイス。相手が飲み物を考えている間にトイレへ、と思ったら、やつは「同じものを」と即答。「ミキちゃんは?」と聞かれ、私はまたも席を立つタイミングを逃した。

私は「いまはもう水分がいらない」と心の中で叫ぶ。でも、「とりあえずは同じものを」と回答。いまは飲み物のことを考えるよりもトイレに行って、飲み物の行末を整理したい。

足が心なしか震える。膀胱が破裂したら慰謝料はもらえるのだろうか。

そうだ。何か質問をすればいいんだ。そして、こいつが考えている間にトイレに行けば。

でも、そもそも私が質問をするスキが見つからない。こいつがひたすら喋っている。たまに質問がくる。だから、そこに私は質問で返すことができない。まるで守ってるばかりのボクシングみたい。

こいつは、「間(ま)が開くと死ぬ病」にでもかかっているのか。「間が大切やで」と習わなかったのか。

世の中のすべての水分が私に集まってきたような気分になる。元気玉ならぬ膀胱玉は、今にも世界を恐慌に陥れようとしている。

しかし、もし私がここで漏らしたらなどうなるだろう。その時こそ、こいつはこの話を辞めるだろうか。最近の港区事情みたいなクソつまらない会話を止めてくれるだろうか。それはそれで魅力だけれど、濡れた服で帰るのは避けたい。

こういう時こそ、IoTの技術で「そろそろ一度トイレ休憩にたちませんか」と言って欲しい。いくらテクノロジーが進化しても気が利かないと意味がない。店の人もグラスが空だと「お飲み物は」と聞いてくれるけど、膀胱が一杯でも「トイレはいかがですか」とは聞いてくれないというのは知っておきたい21世紀の知識だ。

あ、そうだ。アイデアが閃いたと同時に私は動いていた。私は手でふっとフォークを手に引っ掛けた。落ちるフォーク。

すかさず私はフォークを取りに椅子を降りる。その時に彼の会話は少し止まる。すかさず私は降りたまま、トイレに向かう。完璧な導線!

私はトイレにこもり、外に出たがっていた水分を解き放つ。さっきまでの苦悩が嘘のように消えていく。涅槃の心境で、トイレを出る。

あなたにも覚えて頂きたい。デートで女性が上目遣いでもじもじしている時は、あなたに見とれているのではなく、トイレを我慢している時があるということを。

そして女性には覚えておいて欲しい。トイレに行きたい時は、カトラリーを落とすといい。もっとも拾ったナイフを持ったままトイレに行くと、色々ややこしいことになるので気をつけて。

私はそのまま席に戻らずにレストランを出る。話を止めれない男は、女も泊めれないのだ。

 

現代の幽玄

「幽玄っていう単語を使いたいの」と彼女は言う。

僕はコーヒーを一口すするふりをして、正解の回答を探す。なんと答えればいいんだ。

「幽玄ってどういう意味?」と僕は聞く。

彼女は嬉しそうな顔して説明を始める。どうやら正解だったようだ。

「幽玄って、芸術用語として使われることが多いんだけど、ものの良さや美しさが奥深くてなかなかわからないことを指すらしいの。奥深さ?味わい深さ?みたいな。」

彼女はこうやってたまに何かに変質的にこだわる時がある。きっと本で読んだか何かをしたんだろう。そういう時は、流れに竿をさすのが一番だ。否定せず、ただゆっくりと同意する。

「能で有名な世阿弥っているでしょ。日本史で勉強したでしょ。国語だっけ?その人は幽玄の例としてこういうたとえを言っているの。『若い少年は姿や声、それがもう幽玄だ』って」

うんうん、と僕は聞く。世阿弥の顔を思い出すが出てこない。面しかでてこない。若い少年が幽玄といわれても、ちっともピンとこない。だからこそ幽玄なのだろうか。

「現代で幽玄なものってなんだと思う」

また難しい質問がきた。こういう時、彼女は僕に答えを求めていない。彼女の壁打ちになるといいんだ。

「なんだろうね。難しいね」

「LINEのスタンプとかは?あれって、奥深いじゃん。使い方次第でいろんな使い方があるし、受け取る方もいろんな解釈ができるし」

「なるほどね。ただ、美しいのかな」。同意をしようと思ったが、つい気になったことを言ってしまう。だから、よく喧嘩になる。彼女のコーヒーはもう冷めている。

「そうね。LINEのスタンプは美しいかどうかわからないよね。じゃあ、インスタのStoryは?1日とかで消えちゃう動画の」

「あー近いかもね。ただ、なんだか『もののあはれ』とかの方が近いかも」

「いとをかし、ってやつよね」

彼女は頼んだコーヒーを省みることなく、目をぐるぐるさせながら、現代の幽玄を考えている。

「恋人同士なのにフォローし合ってないインスタの鍵アカウントとかは」

「あー面白いね。なんだか奥深いよ。そして、なんだか美しいよ。それは幽玄かもね」

僕にとってはあなたのが幽玄だよ、と心のうちでつぶやく。美しくて魅力が奥深い。はためから見ると、マシンガンのように独りで喋る女性だから、魅力的にうつらないかもしれない。でも一緒にいると、その魅力に少しづつ気づく。まるで、墨汁に入れたイカスミみたいに、慣れてくると、その違いに気づく。墨汁とイカスミは違うことに。

そして彼女がその自分の魅力に気づいていないのも素敵だ。幽玄だよ、幽玄。

彼女が何か喋っている。美味しいコーヒーはまだ口をつけられず冷めたまま、存在感を放っている。