眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

機内にて

緊急時の避難方法を客室乗務員が説明してくれている。衝撃があると酸素マスクが飛び出てくるからつけろ、だって。恋して息ができない時も酸素マスクが出てきたらいいのに、と思う。

緊急避難の方法も丁寧に教えてくれる。それでも、好きな人に告白できない時の対処法は教えてくれない。

隣の隣の席ではサキが本を読んでいる。サキがガイダンスを聞いていないのはもうわかっているからなのか、それとも緊急なことは起こらないと信じているのか。僕が告白するのはサキにとって緊急なことなのかな。それとも普通のことなのかな。

ガイダンスが終わると飛行機は滑走路をゆっくりと走り出し離陸した。1つプロセスが進むごとに、この旅行も終わりに近づいてくるような気がして、なんだか物悲しくなる。

あと3時間もすれば日本に着いてしまう。香港の近さを憎んだ。サンフランシスコくらいの距離があったら良かったのに。

20分もすると飛行機の上昇が止まり、安定飛行を始めた、僕の右隣りのタカシは寝始め、サキと僕の間に座るレイカは映画を見始めた。サキは相変わらず小説かなにかを読んでいて、僕はそのサキを眺めている。

現実逃避にKindleを読み始めるけど全然頭に入らない。

周りを見渡すと乗客たちが思い思いに自分の時間を過ごしている。でも、1つ気づいたのは、飛行機についているディスプレイを使う人が少ないってことだ。みんな、Kindleで本を読んだり自分のタブレットで映画を見たりしている。飛行機の限られた映画を見るよりも、自分で選んだ映画を自由に操作しながら見ることができるタブレットの方が便利なのは事実だろう。時代は変わったのだ。

僕がこういうふうに恋愛にもんもんとするのも本当は時代遅れなのかもしれないな。

気がつくと食事が配られはじめている。添乗員たちが僕に尋ねる。

- チキンかビーフか
と。

まるで、それは僕が「チキン(臆病者)」と言われているような気がして。「好きな人に告白さえもできないチキン」と言われているような気がして。

僕は思わずビーフを頼む。

僕は彼女が食べる機内食をそっと眺める。丁寧におてふきで手をふいて食事を始める。ビーフをプラスチックのフォークとナイフでうまく刻んで口に運ぶ。パンもパンをバターにつけるのではなく、バターをパンに挟んで食べる。その一挙一動が優雅に見えて、僕は自分の機内食の乱雑さを見て少し落ち込む。パンの粉が散って袋も産卵して。

僕が落ち込んでいる間にも食事が終わる。飛行機が揺れる。シートベルト着用のサインが点灯する。

僕は受験で出た「『シートベルトをお締めください』を英訳しなさい」という問題を思い出す。

シートベルトに締め付けられるように僕の胸も締め付けられる。

窓の外にはきれいな夕日。夕日を眺める窓際のサキ。でも、僕は窓際でも通路側でもなく、サキの隣がいいな、と思う。

エジプトで水浸しになったグレーのスーツ

エジプトでは失業率が非常に高まっている。若者では40%になるそうだ。その結果、私が経験したエジプトツアーの体験談をお話しよう。

そのツアーはプライベートツアーだった。つまり大勢の参加者で参加するツアーでなく、私達だけのツアーだった。というのも、今回の旅行は親孝行を兼ねた母親と2人だの旅行だったから、母親に不便がないようにしたかった。少しは割高だが、安全なツアーにしたのだ。何かあってからでは遅い。

そのツアーはたまたま知り合いから紹介されたもので、エジプトに住む日本人が行っているツアーだ。他のツアーと違うのは、仕事がない若者たちを助けたいという思いがある点だ。

しかし、そのため、ツアーは滑稽なものになった。

圧倒的に登場人物が多いのだ。もし舞台なら観客が混乱するほどだ。

まず入国した瞬間から、支援が始まる。入国のシート記入の支援に1人。そして、荷物をもつ人が1人。それからドライバーが1人。3人による入国サポートだ。

ホテルについたらまたグレーのスーツをびしっと来たエジプト人が現れる。夜中の1時というにも関わらず。

そこで彼はホテルの部屋に不備がないかをチェックする。水が流れるか、お湯が出るか、部屋がきれいか、などなど。

お湯がでるかをちゃんとチェックしてくれたのだろう。彼のグレーのスーツはビチョビチョになっていた。脱いでからチェックすればいいのに、と思ったけれど、彼はこの仕事はまだ慣れていないのだろう。

この失業率を考えると彼も久しぶりの仕事なんだろう。それで、張り切って仕事をしてくれている。だから、私は「大丈夫だよ、自分でできるよ」なんて言えなかった。

万事が万事この調子だった。何かの度に支援する人が変わる。きっと多くの人に少しずつ給料を払うためなんだろう。

10年前に1人でいったエジプト旅行を思い返してみると、雲泥の差だ。あの時も同じように1時頃に空港からカイロの市街地までタクシーに乗った。

タクシーに乗る前に行う価格交渉はバックパッカーの鉄則だ。価格を合意してから乗る。しかし、空港から出る通路の途中で、彼は約束した値段と違う値段を言い出した。「深夜料金だ」と言いながら。

怒った私は走ってる車のドアを明けて飛び降りる仕草をした。議論なんてしても無駄だとわかっていたから。慌てて、彼は「OKOK」と言った。まさに命がけで守った500円だった。

その時の旅行とは全く違う不安のない旅行になったけれど、ただ、エジプト人の顔色は10年前よりも、少し暗くて。

10年前はナズィーフ新政権による経済が非常に好調で街も元気だった。私を騙そうとしたタクシーの運転手でさえ血色の良い顔色で、それが懐かしい。あの水浸しになったグレースーツの方の顔色の悪さを見て、それを痛感する。

たとえ不安のない旅行でも、街が不安にあふれていれば、なんだか心は落ち着かない。

私は、ルクソール神殿に手を合わせて「エジプトの経済がよくなりますように」と祈った。日本みたいに、こんなお祈りが神殿に通じるのかわからないけれど。

お賽銭箱がない。お賽銭にする予定だったお金は、代わりに、あのグレーのスーツを着た人にチップとして渡そう、と思った。

 

結婚に求められる能力

- 34までに結婚したいの

と彼女は言う。

その時に、世の中の人はこう言うだろう

- じゃあ出会いをもっと増やさないと。

合コンに行け、Pairsをしろ、結婚相談所を使え。

然り、然り。

出会いが増えれば、結婚相手と見つかる可能性は高まる。少なくとも、家で篭っているよりは出会いはあるだろう。

実際に彼女は街コンに出かけ、クリスパスパーティに出かけた。そこで、彼女にアプローチをしてくれる男性と出会った。今回はその男性とは2回のデートで終わってしまったけれど、それもまた1つの前進だ。

- でも

と私は思う。今の時代に求められているのは、出会いを増やす努力をするだけじゃない。それだけでは不十分なのだ。

「人を好きになる努力」というものも求められているのだ。

自分が好きで、相手も好きになってくれることなんて、そもそも、確率論から考えれば低いだろう。もし自分が好きになる人の出現率が20人に1人だとしたら、単純計算で、お互いが好きになる確率は400人に1人だ(もっとも実際はお互いが好きになる層は分布が偏っているので、もう少し確率は高いと思うけれど)。なお、自然界では、その問題を「女性は自分を好きになってくれる人を好きになる傾向にある」というルールを設定することで解決しようとしている。

いずれにせよ。

いずれにせよ、自分を好きになってくれる人を好きになった方が話は早い。

自分の好きな人と結婚できる時代は終わったのだ。そんなのはおとぎ話の幻想だ。

今の時代に求められているのは、人を好きになる能力なのだ。自分を好きになってくれる人を好きになる能力こそが幸せのキーなのだ。

もっとも、私は「そんな無理に人を好きになる努力をするくらいならば、結婚を諦める」能力を手に入れたけれど。

 

 

 

 

パンツのポケット

友達は、下着メーカーで働く。当たり前だけれど、自分の下着は全部そのメーカーのもので揃えている。

彼氏にも、そのメーカーのパンツをプレゼントしていた。クリスマスや誕生ではなく、仕事の打ち上げやご飯をごちそうになったささやかなお礼に、パンツをプレゼントしていた。「パンツ?」と思うかもしれないけれど、彼女の仕事を考えると納得できるものだろう。

彼女には狙いがあった。

- 彼女にもらったパンツをはいてると、浮気ができなさそうでしょ

というのが彼女の言い分だった。そういうものかな、と思った。

ある時、彼女はポケットがあるパンツを買った。右のお尻のポケットにポケットがついたパンツだった。

- ここにコンドームを入れておくと、どこでもできるでしょ。

というのが彼女の言い分だった。私はその話を聞いて、そのコンドームポケットは浮気にも使えるんじゃないかな、と思ったけれど言わなかった。

結婚してからは、そのポケットにコンドームが入ることはなくなったが、代わりに勃起促進剤などを入れられることが増えた。夫婦は、子育てを推進する必要があるからだ。

必要な時にさっと一錠をポケットから取り出し、口に放り込む。実際は薬が聞き始めるまでには1時間以上かかるので、気休めだったのかもしれないけれど。彼女はいう。

そして、子供ができた今は、そのポケットに子供の写真を入れている。

- 子供をお尻で踏むのは気になるけど、でも、まぁ肌身離さずつけるにはいいでしょ。何より浮気できないし。

ドラえもんのポケットはまだ開発できていないけれど、浮気を予防するポケットはもうできているんだ。私たちは未来に生きているな、と思った。

風に吹かれるドローン

ドローンを買った。子供が喜ぶと思ったからだ。

ゴールデンウィークに飛ばそうと思った。休みだから何か子供が喜ぶことをしたかった。

せっかくだから、ちゃんとしたドローンを買おうと思ったら3万円もした。高い。200g以下だから、無人航空機だ。

部屋で飛ばすと、事件になりそうなほどの音がした。これはだめだな、と思って、マンションの窓から外を見ると、隣に駐車場があった。

あそこから飛ばせばいい。ゴールデンウィークの3日目は晴れていたので、外で飛ばすと気持ちいいな、と思った。

子供の手を引いて、もう片方の手にはドローンを持って、駐車場に向かう。

スイッチを入れるとブオーンという声をあげてドローンが空を飛ぶ。ああ、いいじゃん。

まるで正月の凧揚げのような。21世紀の凧揚げはドローンになるのだ。

そんなことを考えていたら、風に流されたのかドローンが、マンションの方に向かう。

「いかん」と思い、コントローラーをいじると、ドローンは加速してマンションに突っ込んでいった。そして、一階の家の壁にぶつかって落ちた。一階の家は庭がある家で、その庭に落ちたのだろう。

スイッチを押したが動かない。ドローンが人様の庭に落ちた。

野球のボールを人の庭に放り込んでしまったことってあったかな。あれはドラえもんで見ただけだっけな、と現実逃避をする。

子供は「どっかいっちゃったドローン」という。

現実に戻り、仕方ないので、そのマンションの一階の家を訪れる。「ピンポーン」と押すが誰もでない。ゴールデンウィークだからどこかにいっているのだろう。

しょうがないので、外からそのマンションの庭に入ることにした。壁は1メートルだから飛び越えれるだろう。ドローンもそこに見えている。

誰も見ていないのを確認し、飛び込む。心臓がドキドキする。でも、さっとドローンを拾って、もう一度、壁を飛び越えた。ドローンは、庭から、ぽいと子供に投げた。子供はちゃんと受け取ってくれた。

スイッチをおすともう一度ドローンは動き出した。ひっくり返っていたから動けなかっただけなんだろう。

このカメラで撮れた映像には、僕が壁を飛び越えているシーンが映ってるかな。子供はそれをみて笑ってくれるだろうか。

足りない匂い

久しぶりに大学に用事があった。卒業証書をもらう必要があったのだ。

事務所で証書をもらったついでに大学を歩く。5年ぶりの大学はあまり変わっていない。

中庭と生協、そして、食堂。人が少ないだけで何も変わっていない。

校舎に入ると、校舎の匂いがすっと入ってきた。その刹那、まるでタイムスリップしたかのような錯覚に襲われる。匂いに引きづられて過去の思い出が溢れ出す。

当時のなんだか行き詰った感覚、サークルの楽しい日々、試験前の眠気。そんなものが溢れ出す。僕はその溢れる記憶を一心にうけながら、倒れないようにベンチに座る。

数分ほどそうしていただろうか。あの匂いとあの頃の記憶を堪能する。今起こったことを思い出す。僕は今、あの頃に戻っていた。

匂いが一番、人の記憶に残っているというのは本当だったんだ。まるで自分の記憶の中に、こんなにも情報が残っていたなんて、と驚くほどあの頃の記憶が溢れてきた。匂いが僕の思い出を記憶の沼から引き上げる。

同時に足りない匂いを思い出す。この校舎に足りない匂い。

僕が4年間、ずっと一緒にいた女性。彼女が付けていた香水の匂いが、この校舎の匂いからは消えていた。

ない匂いだけを感じることができる。禅問答みたいだ。まるでカレーにコリアンダーが欠けているような。僕にとってこの校舎にはあの彼女の甘い香水が必要だったんだ。

顔を明瞭に思い出せなくてもあの彼女の匂いは、いまも匂ったら思い出すだろう。でも、この校舎にその匂いはない。

昔の歌で、恋人がいなくなって、「いつもよりも眺めがいい左」に戸惑うという歌詞がある。いつも左にいた彼女がいない。だから、その分、眺めのいい左に違和感を感じる。

僕は同じように、あの匂いのない校舎の匂いに戸惑う。どうして彼女はいまここにいないんだ。どうしてあの匂いがここにはないんだ。

僕はきっと帰り道にデパートに寄るだろう。そして、彼女がつけていた香水を聞くだろう。その夜、僕はその香水を少し布団にかけて眠るだろう。

男性が女性向けの香水を買うのはプレゼント用だけじゃない。自分のために必要なこともあるんだ。まるでターメリックを買うように、その匂いが必要になる時があるんだ。

アドバイス

なぁ、わかるだろ。

人はアドバイスを聞けないんだよ。

もうそういう仕組みになってる。そういう身体になってるんだよ。他人のアドバイスを聞いた殊勝なやつは周りにいるか?いないだろう。要はそういうことなんだよ。人はアドバイスを聞かない。何度でもいうよ。人はアドバイスを聞かない。みつをもきっといっているよ。人はアドバイスを聞かない、人間だもの。

不倫をやめろといってもやめない。無駄遣いだから節約しろといってもできない。あの人は悪いやつだからといっても自分だけは信じて騙される。

なぜか。人は自分の意思決定を過大評価しているからだよ。自分は正しい、自分はものを見極めることができる、自分だけが理解している。

でもそれはそれでしょうがない。そういう自分の意思を信じれないと、人は前に進めないんだよ。「目の前の地面が落とし穴かも」って恐れていたら、一歩を歩けないだろ。そういうことなんだよ。人は自分が立っている地面を信じている。そうやって生きてきたんだよ。

でもな、人がアドバイスを聞くときが2つだけある。どういう時かわかるか。

1つは、自分自身が実際にそのアドバイス通りのことを体験した時だ。「ギャンブルなんてやめておいた方がよい」と言われた男は、実際にギャンブルで痛い目を見て、やっと「あの人は正しい」と理解する。

そして、もう1つは、自分もそう思っている時だ。「太ってるから夏までにやせなよ」と言われた女は、自分自身もそう思ってるから、ダイエットをする。

逆にいえば、それ以外の時はアドバイスなんて意味がない。

だからもしお前が人にアドバイスをする時は、最後の結論にアドバイスをしちゃだめだ。その最後にいく手前へのアドバイスをするんだ。

たとえば不倫なら「最後は苦しむのはあなたよ」と言っても、気づいた頃には手遅れだ。それよりも「たとえば、日曜日にLINEの返信が遅いことはない?それにいらいらしない?それって他の人より不幸せだよ。不倫ってやめなよ」というふうにアドバイスするのがいいんだよ。崖に落ちる手前でアドバイスするんだよ。

崖から落ちている車に「あぶないよ」といっても意味ないんだよ。運転する前の運転手に「あぶないよ」といっても意味ないんだよ。坂で少しスリップした時に「危ないでしょ、やめときなよ」ってのがいいんだよ。

ギャンブルなら「破滅するよ」ではなく「3回やってみなよ。それで勝越したら続ければいいし、だめなら、辞めたほうがいい。確率では7割の確率で損するから」とアドバイスをするんだよ。

そうすると最悪の手間で気づく。

というこのアドバイスもお前さんは聞かないだろうな。自分自身で、これを体験しない限り。