眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

パクチー

パクチーというへんてこな存在がいる。名前からしておかしい。パクチー。強烈な印象を残す。異国感が溢れすぎている。

実際に苦手な人も多い。タイに行くというと「パクチー大丈夫?」とさえも言われるほどだ。

私自身苦手だった。そもそもセロリも苦手だったから、その兄弟(と、私が勝手に思い込んでいる)であるパクチーはさらに苦手だった。きっとセロリよりもパクチーの方が嫌いな人は多いから、セロリとパクチーなら、パクチーの方が兄だろう。名前からして破裂音と伸ばす音を両方兼ね備えているのは凶暴だ。

こんな草を喜んで食べる人がいるなんて信じられなかったし、なんなら、これは毒草ではないかとさえ思ったものだ。

だから、タイにいった時は大変だった。炒め物やサラダに入っているだけでなくラーメンにも入っていることさえある。まるでパクチー王国で、タイがパクチーに乗っ取られているかのようだった。

何より教育が徹底している。「ノーパクチー」といって「OK」と言われたのに、こんもりとパクチーが入っている。つまり「ノーパクチー」は挨拶代わりの意味しかなく、「パクチー抜き」と理解されることはない。

最初はどけていたけれど、さすがに野菜炒めのパクチーを取るのには骨が折れる。いつしか、パクチーを少しづつ食べるようになっていった。まるで、引退したボクサーがアルコールにおぼれていくように。

そうして体にいくつかパクチーが蓄積された頃、不思議なことがおこった、パクチーが美味しく感じられるようになっていたのだ。

まるで、ダメンズを好きな女性が暴力を振るう男性に惹かれてしまい、別れたいのに、そういう男性じゃないとぐっとこないようになってしまうようだった。私もパクチーが嫌いだったのに、今やパクチーがないと物足りないとさえも思うようになってしまった。

これは、タイの国策ではなかろうか。観光客をパクチー好きにして、産業のパクチーの消費量を増やし国力を増やす。まるで、アヘン戦争を見ているようだった。私達は知らない間にパクチー中毒にされている。

ただ、昔から、生粋のパクチー好き友達に「コリアンダーも好き?」と聞いたところ、「そうでもない」と回答が来たのは、まだ解せないけれど。

(※コリアンダーパクチーは呼び名が違うだけで、ほぼおなじ)

きっとパクチーパクチーでありコリアンダーとは異なるのだろう。

二軒目の前に

その日は会社の交流会だった。

10周年記念のパーティでホテルの会場を借りてのセレモニーだった。

帰り道、飲み足りない僕は同僚に連絡する。2人とも帰る方向が近いので、たまに一緒に帰ることはあったのだけれど、飲むのは初めてだった。

「どこにいる?飲まない?」

「いいね。いこう」

2人の最寄り駅で待ち合わせをする。

「着いた。ちょっと待って」と彼女からLINEが届いたのは22時。

それから10分経っても彼女は現れない。

どうしたのかな、と思った頃に彼女があらわれる。

僕は彼女が時間がかかった理由を理解する。きれいに塗られた口紅と整えられた髪型がそれを物語っていた。

僕は行こうとしていた店をいつもの居酒屋から、ここぞという時のバーに切り替えて、一歩目をあるき出した。

そんなつまらないこと

飲みにいこう、と言ったら彼は驚いた顔をしていた。

そして少し間があいて「ぜひ」と笑顔で返ってきた

いつもは彼からのお誘いばかりで、私から飲みに誘うなんて初めてだから、驚くのも当然かもしれない。仕事の打ち合わせは私からいつも予定を入れるけれど、プライベートで私から予定を入れるのははじめてだ。

当日になって、会社の最寄り駅から2つ離れた駅で待ち合わせをする。わざわざ最寄りを避けるまでもなかったのだけれど、なんとなく男女2人で会うところは会社の人たちに見られなくなかった。

いつもは襟の付いた服なんて着ない彼がピシッとシャツを来ている。

そして、私がよく行くビストロで食事をする。いつも通り、仕事の会話、少しの愚痴。そして、いつも通りの、いつまでも恋人ができない彼の恋愛事情を笑う。

デザートを頼む頃、私は切り出す。

「実は会社を来月で辞めるんだ」

会社で仕事以外で親しくしていたのは彼くらいだったから、彼には先に報告をしておきたかった。私が困っていた時に助けてくれていたのは彼だった。

それを聞いて彼はこういう。

「そんなつまらないことをいうために、僕を誘ったんですか」

真正面から覗かれたその目がとてもきれいで。

私は、思わず「今日は部屋、きれいだったかな」と考え始める。

赤みさす頬

おしゃれな人だな、と思っていた。

緑のスーツやピンク色のシャツ。体型に合わせてぴちっと合わせたさせたそれらの衣類は彼の皮膚の一部のようだった。カメレオンのようだったけれど。

だから、彼が色覚障害だとは気づかなかった。

でも思い返せば、免許を持っていなかったし、ツムツムも苦手としていた。多少の心当たりはある。

今思い返すと「おしゃれだね」という表現が彼にどう届いていたのかわからない。嬉しかったのか複雑な気分だったのか。

でも、彼は色の識別は苦手でも、私の識別を間違うこともなかったし、私の表情はちゃんと見えてくれていた。泣きそうな気分の時は「どうしたの」と言ってくれたし、イライラ話しかけないでくれていた。

私は彼の見ていた世界を見たいな、と思う。彼にとっては世界がどのように映っていたんだろうか。

彼に口説かれた時、酔っ払っていたふりをする必要なんてなかったんだな、と思う。「私、酔っ払って赤くない」と聞いた時に「赤くないよ」と言っていたのは、優しさだったのか、本心だったのか。

また会えることがあるならば聞いてみたい。

見えないものが見える人たち

「高校生時代は書道を頑張ってたよ」とミキが言う。

丁寧にモヒートを飲みながら。

「全国大会には何度か出たことがあるよ」

書道にも甲子園のように県大会があり、その先には、甲子園のような全国大会があるらしい。ミキは県大会でいつも1位か2位を競っていた。全国大会の切符を競っていた。

「その1位を競っていた子がね、私と全然、アプローチが違うの。私は自分には書けない字をかける彼女を尊敬していた。でも、彼女とあった時に、彼女も私を尊敬してくれるって言ってくれたの。それが嬉しくて」

デザイナーの友人と話をした記憶を思い出す。

「クライアントに『こういう本の装丁にしたい』と言われた時に、その正解ってあるのかな」と僕は彼に聞いた。彼は「あると信じている」という。

まるで、木に掘られた運慶を削り出すように、アートも正解があって、アーティストたちは、その正解を掘り出していく。

出来上がった時に「ああ、これだったんだ」と思えるような。「このデザインが求められていたデザインだったんだ」とわかるような。一分のスキもなく。

「自分が1位に負けた時に『あ、これは負けた』ってわかるものなの?1位との差なんて個人の関心の差だから、どっちがいいなんてわからないんじゃないの」と僕は聞く。

「わかるよ。自分が全力で考えたものを超えた作品がでてくるから」

と彼女はいう。それは野球やバスケのように数字で表せられる世界ではく、フィギアやアートの世界なんだろうな、と思う。

他の人が想像できない世界を表現できるかどうか。まるで「見えないものを見える人たち」の世界なんだろうな。ある領域においては、人には見えない世界が見えるかどうかが重要なのかもしれない。スピードや正確さなどといった尺度とは別の尺度がそこにはある。

ミキはモヒートを飲み干してオリーブをつまむ。

じゃあ、僕はミキが想像する以上の夜をこれから見せなきゃな、と思った。

- もう一軒、店を変えよう

僕はミキにいう。行きたい店があるんだ、と僕はいう。

機内にて

緊急時の避難方法を客室乗務員が説明してくれている。衝撃があると酸素マスクが飛び出てくるからつけろ、だって。恋して息ができない時も酸素マスクが出てきたらいいのに、と思う。

緊急避難の方法も丁寧に教えてくれる。それでも、好きな人に告白できない時の対処法は教えてくれない。

隣の隣の席ではサキが本を読んでいる。サキがガイダンスを聞いていないのはもうわかっているからなのか、それとも緊急なことは起こらないと信じているのか。僕が告白するのはサキにとって緊急なことなのかな。それとも普通のことなのかな。

ガイダンスが終わると飛行機は滑走路をゆっくりと走り出し離陸した。1つプロセスが進むごとに、この旅行も終わりに近づいてくるような気がして、なんだか物悲しくなる。

あと3時間もすれば日本に着いてしまう。香港の近さを憎んだ。サンフランシスコくらいの距離があったら良かったのに。

20分もすると飛行機の上昇が止まり、安定飛行を始めた、僕の右隣りのタカシは寝始め、サキと僕の間に座るレイカは映画を見始めた。サキは相変わらず小説かなにかを読んでいて、僕はそのサキを眺めている。

現実逃避にKindleを読み始めるけど全然頭に入らない。

周りを見渡すと乗客たちが思い思いに自分の時間を過ごしている。でも、1つ気づいたのは、飛行機についているディスプレイを使う人が少ないってことだ。みんな、Kindleで本を読んだり自分のタブレットで映画を見たりしている。飛行機の限られた映画を見るよりも、自分で選んだ映画を自由に操作しながら見ることができるタブレットの方が便利なのは事実だろう。時代は変わったのだ。

僕がこういうふうに恋愛にもんもんとするのも本当は時代遅れなのかもしれないな。

気がつくと食事が配られはじめている。添乗員たちが僕に尋ねる。

- チキンかビーフか
と。

まるで、それは僕が「チキン(臆病者)」と言われているような気がして。「好きな人に告白さえもできないチキン」と言われているような気がして。

僕は思わずビーフを頼む。

僕は彼女が食べる機内食をそっと眺める。丁寧におてふきで手をふいて食事を始める。ビーフをプラスチックのフォークとナイフでうまく刻んで口に運ぶ。パンもパンをバターにつけるのではなく、バターをパンに挟んで食べる。その一挙一動が優雅に見えて、僕は自分の機内食の乱雑さを見て少し落ち込む。パンの粉が散って袋も産卵して。

僕が落ち込んでいる間にも食事が終わる。飛行機が揺れる。シートベルト着用のサインが点灯する。

僕は受験で出た「『シートベルトをお締めください』を英訳しなさい」という問題を思い出す。

シートベルトに締め付けられるように僕の胸も締め付けられる。

窓の外にはきれいな夕日。夕日を眺める窓際のサキ。でも、僕は窓際でも通路側でもなく、サキの隣がいいな、と思う。

エジプトで水浸しになったグレーのスーツ

エジプトでは失業率が非常に高まっている。若者では40%になるそうだ。その結果、私が経験したエジプトツアーの体験談をお話しよう。

そのツアーはプライベートツアーだった。つまり大勢の参加者で参加するツアーでなく、私達だけのツアーだった。というのも、今回の旅行は親孝行を兼ねた母親と2人だの旅行だったから、母親に不便がないようにしたかった。少しは割高だが、安全なツアーにしたのだ。何かあってからでは遅い。

そのツアーはたまたま知り合いから紹介されたもので、エジプトに住む日本人が行っているツアーだ。他のツアーと違うのは、仕事がない若者たちを助けたいという思いがある点だ。

しかし、そのため、ツアーは滑稽なものになった。

圧倒的に登場人物が多いのだ。もし舞台なら観客が混乱するほどだ。

まず入国した瞬間から、支援が始まる。入国のシート記入の支援に1人。そして、荷物をもつ人が1人。それからドライバーが1人。3人による入国サポートだ。

ホテルについたらまたグレーのスーツをびしっと来たエジプト人が現れる。夜中の1時というにも関わらず。

そこで彼はホテルの部屋に不備がないかをチェックする。水が流れるか、お湯が出るか、部屋がきれいか、などなど。

お湯がでるかをちゃんとチェックしてくれたのだろう。彼のグレーのスーツはビチョビチョになっていた。脱いでからチェックすればいいのに、と思ったけれど、彼はこの仕事はまだ慣れていないのだろう。

この失業率を考えると彼も久しぶりの仕事なんだろう。それで、張り切って仕事をしてくれている。だから、私は「大丈夫だよ、自分でできるよ」なんて言えなかった。

万事が万事この調子だった。何かの度に支援する人が変わる。きっと多くの人に少しずつ給料を払うためなんだろう。

10年前に1人でいったエジプト旅行を思い返してみると、雲泥の差だ。あの時も同じように1時頃に空港からカイロの市街地までタクシーに乗った。

タクシーに乗る前に行う価格交渉はバックパッカーの鉄則だ。価格を合意してから乗る。しかし、空港から出る通路の途中で、彼は約束した値段と違う値段を言い出した。「深夜料金だ」と言いながら。

怒った私は走ってる車のドアを明けて飛び降りる仕草をした。議論なんてしても無駄だとわかっていたから。慌てて、彼は「OKOK」と言った。まさに命がけで守った500円だった。

その時の旅行とは全く違う不安のない旅行になったけれど、ただ、エジプト人の顔色は10年前よりも、少し暗くて。

10年前はナズィーフ新政権による経済が非常に好調で街も元気だった。私を騙そうとしたタクシーの運転手でさえ血色の良い顔色で、それが懐かしい。あの水浸しになったグレースーツの方の顔色の悪さを見て、それを痛感する。

たとえ不安のない旅行でも、街が不安にあふれていれば、なんだか心は落ち着かない。

私は、ルクソール神殿に手を合わせて「エジプトの経済がよくなりますように」と祈った。日本みたいに、こんなお祈りが神殿に通じるのかわからないけれど。

お賽銭箱がない。お賽銭にする予定だったお金は、代わりに、あのグレーのスーツを着た人にチップとして渡そう、と思った。