WikipediaとSiriの限界
「ね。セレンディピティって何」と、女が尋ねる。
ベッドの上で携帯を見ながら気だるそうに男が答える。
「偶然の出会いってやつだよ」
「人との出会い?」
「人にも限らないんじゃないかな。仕事とか、探してるものとか」
「いじめられている亀を探してたら、亀と出会う。これもセレンディピティ?」
「竜宮城に行きたいの?それとも何かの比喩?」
「セレンディピティのことが知りたいのー!」
「その単語、どこで聞いたの?」
「友達が飲み会の席でいってたー」
女は、Siriに話しかける。
「ねえ。Siri、セレンディピティって何?」
スマートホンは答える。
「セレンディピティとは『幸運の発見』です」
「よくわからないよー、Siri。もっとわかりやすくいって」
「困った時はWikipedia」と、女は検索をする。
セレンディピティとは素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること
「そんなの言ってもさ。ラッキーと何が違うの?!」
「インターネット時代になって、情報は簡単に手に入るようになったけど、簡単に理解できるかどうかは別なんだね」と、女はベッドの上で男の背中に飛び乗った。
- 翌日
「今日、セレンディピティのことがわかったよ」
「お、どうしたの?」
「飲み会で、セレンディピティの意味がわからないーって言ってたら『私、セレンディピティに詳しいから教えてあげるよ』って、その女の子と2人で二次会で教えてくれたの」
「すごいじゃん。その出会いこそ、セレンディピティだよ。探していたものと、適切に出会う」
「ほんと?!その後に、青汁ダイエット食品を売りつけられそうになったけど、それもセレンディピティ?」
「…….。それは相手にとっては『いい鴨』っていう表現がよく使われるね。ある意味、セレンディピティかも」
ツイッターで事故死を演出する男
ツイッターで死を演出するということを楽しんでいた。
たとえば、「このアニメが好き」という設定の人物を作る。そして、その設定に合わせたプロフィールを作り、ツイートを始める。そのアニメのことをつぶやき、そのアニメが好きそうな人をツイートする。食事や週末の遊び方も練り上げて投稿する。
そして、同じようにそのアニメが好きそうな人をフォローする。コメントする。リツイートする。趣味がある者同士はつながる傾向にあるから、フォロワーはどんどん増えていく。まるで、俺の偽物のアカウントが本物に存在しているように見えだす。
受けが良いのはやはり若い女性だった。顔の一部を見せただけの写真をアカウントに使う。元画像はインターネット上から拾ってくる。そのまま拾った写真をプロフィールに使うと画像検索でバレルことがある。だから、トリミングをして、一部だけを見せる。
重要なのは、自分の住んでいる地域を定期的に投稿しておくことだ。フォロワーたちに、このアカウントの出身地を刷り込んでおく。
そうして、このようなアカウントを10以上作る。日本各地に住む自分の子どもたちのようだ。
その後、地震や災害などがあったタイミングで、その地域の設定をしていたアカウントのツイートを止める。
それまで毎日10以上投稿されていたアカウントが急に投稿がとまる。ニュースでは、その地域で災害があったことが流されている。フォロワーたちが騒ぎ始める。
「もしかして災害で死んだのでは」という憶測がでる。自分の偽アカウントがそのように人の感情を揺さぶるのを見ているのは感動すら覚える。まるで自分の作った映画をみて悲しんでくれているような気持ちだ。
話題にならなかった時には、親のふりをして「ありがとうございました。先日の災害で、この子は他界しました。同じ趣味を持ってくださった方と交流できて嬉しかったと思います。いまも幸せにあちらでアニメを見ていることと思います」と投稿する。
多い時は、数千のリツイートがされることがある。まさしく時の人だ。
ある時、中国地方で土砂崩れがあった。
中国地方在住設定のアカウントが1つあったので、いつものように、そのアカウントの更新を停止した。あるマンが好き設定のキャラで、名前はメイだった。最後のツイートは「ごはんいてきま」だった。
一週間たち、いつものようにアカウントが騒ぎ始めた。何人かの人たちは「大丈夫ですか」とダイレクトメッセージを送ってくれた。
しかし、俺が待っていたのは、タケという子の反応だった。
その子は、メイにあふれるほどの愛情を捧げてくれていた。メイのコメントにすべて同意してくれた。メイが少し気の利いたことを言うと「そのとおりだ」とRTをしてくれた。DMも毎日送ってきてくれた。「好きだ」「会いたい」「写真を送って」。
うざいなと思いつつ、「こんなにメイのことを好きな子が、メイの死に直面したらどうなるんだろう」と楽しみの方が上回り、相手を続けていた。時には「好きだよ」「時期がきたら会いたいね」という言葉を交わしながら、タケの温度を下げないようにしていた矢先に起こった土砂崩れだった。
メイの更新が途絶えた翌日から、タケは、すごい量のダイレクトメールを送ってきてくれた。「大丈夫」「もしかして」「連絡ください」と。
しかし3日も経つとダイレクトメールも1日一通になった。「心配でご飯も食べれません。もしこれを読んだら返信ください」といったものが夜に送られてくるばかりとなった。
これ以上、間が空いてもテンションが下がってしまう。「今がタイミングかな」と、俺は、わくわくしながら、タケにダイレクトメールを返した。「メイの母親です。娘は先日の土砂崩れでなくなりました。生前は大変お世話になりました。ありがとうございました」と。
僕は号泣するタケを想像した。悲しみに溢れた返信を心待ちにしていた。しかし、ダイレクトメールの返信は既読になれど、なかなか帰ってこなかった。タケのツイートもそれから更新が止まったばかりだった
つまらないな。リアクションを楽しみにしているのにリアクションがなければつまらない。あれほど期待させておいて。がっかりだ。
そして、タケのことを忘れかけていた3日後、このようなDMが来た。
「俺もメイさんの後を追いかけます。あちらで幸せになりたいと思いますので、メイさんのことは任せてください。」
# 後記
https://anond.hatelabo.jp/20181118011243
上記の投稿をみて、「(不謹慎にも)死んだフリをするアカウントに対して、死んだふりをするアカウントもでてきそうだ」と思って書いた記事。
2人きりの部屋
男がドアを開けて中に入る。続いて女が「失礼します」といいながら部屋に入る。酔っているからか、足元がおぼつかない。
女はブーツを脱ぐのがめんどくさそうに、足のかかとでブーツをける。
男が先に部屋に入る。「コートかして」と男が女からコートを受け取る。ハンガーにかける。
部屋に入ると女が言う。「わぁ、キレイにしてるのね」
「Alexa、ジャズをつけて」と男が言うと、「はい、わかりました」という声に数秒遅れて、部屋にジャズが流れる。
「座って。ソファーなくてごめん。ベッドの上にでも」と男がいいながら、冷蔵庫からワインを持ってくる。女は、ベッドに座りながら部屋を見渡す。モノが少ない部屋。白と黒でまとめられたキレイな部屋。
「ここにはどれくらい住んでいるの」
「まだ1年くらいかな」
男女はグラスを重ね合わせ、唇を重ね合わせる。
グラスのワインが半分も減っていないうちに、男は女のニットを脱がせようとする。女はバンザイのかっこをして、男が服を脱がせる。下着があらわになる。
「明るいわ」
「明るい方が、キレイな顔が見えていいよ」
「恥ずかしい」
「じゃあ目をつむっておいて」
男が女の肌に触れ、くびれを触る。
「きれいだよ」
「恥ずかしい」
男は唇を重ねながら、女の背中に手を回しブラジャーのホックを外そうとする。
「Alexa、電気を消して」と、女がいうと「はい、わかりました」という声ともに電気が消える。
男はホックを外す手を止めて言う。
「Alexa、空気をよんで」。
元ネタ
https://twitter.com/CoNoSyuNya/status/1077780043860869120
14106と言って
「14106」という言葉が世の中を騒がせるころ、僕は高校生だった。そして初めてのデートを経験することになった。
当時は、ポケットベルという数字を送り合う端末が登場し、学生たちはこぞって持ち始めた頃だ。それまでは、デートの誘いは、相手の実家に電話をしなければいけなかった。誰しも「親に電話を切られる」という洗礼を受けていたものだ。
愛しているという意味を込めた「14106(この数字の読み方を語呂合わせでアイ(1)シ(4)テ(10)ル(6)と読んだ)」という数字を送り合って。愛どころか、恋さえもわからないくせに。
その時の男子高校生のほとんどがそうだったと思うが、僕が当時、恋をしていたのはクラスメートで。それもかわいいからとかではなくて、自分と席が近かったとか、そんな環境要因で。
彼女は勉強もできた。焼きそばパンも食べた。僕は、お昼に学校の近くのパン屋さんに昼食を買いに行った。その時に彼女に「何かいる?」と聞くと、回答はいつも「焼きそばパン」だった。僕は、そんなに好きでもない焼きそばパンを2つ買って、1つは彼女に、そしてもう1つは自分で食べた。一緒のものを共有したかったから。もし彼女が「冷蔵庫が欲しい」といったならば、僕も同じ冷蔵庫を買っていただろう。
掃除の時間、2人で一緒に話をするタイミングがあった。その時、僕は「ボーリングにいかない」と誘った。ひねり受け身も何もないストレートな誘いだったと思う。そして、彼女は「いいよ」とOKをしてくれた。ボーリングらしいカーブのない誘いと、ボーリングらしい角のない返事だった。
ある日の土曜日の昼過ぎに、彼女とはボーリング場で待ち合わせた。
当日も家から彼女のポケベルに連絡を飛ばす。「73211354(むかうね)」と打つと、「1524(OK)」と彼女から返ってきた。
僕は自転車でそこに行き、彼女は車で送ってもらっていた。私服の彼女を見るだけでも僕はテンションがあがった。今ならば「ボーリングなのに、なんでスカート」と言っていたかもしれないけれど、当時は、スカートは天下無双だった。
ボーリングは2ゲームをしたように思う。どっちが勝ったかさえも覚えていない。ただ、スペアだかストライクをとった時の彼女の嬉しそうな笑顔をみて、「映画よりも、こっちの方が彼女の笑顔を見れるからいいな」と思った。メジャーリーグ2を一緒に見るよりもよっぽど良い。
ポケベルがない、という気づいたのは、その後だった。多分、クレープ屋でクレープをかった頃だ。僕はポケットにポケベルがなくなっていることに気づく。でも「ポケベルがない」なんていいたくなかった。かっこ悪かったし、何より、彼女との時間をポケベル探しに使うのはもったいなかった。
僕は、このデート中に彼女とはぐれないことだけを願った。はぐれたら終わりだ。
そして、その後、カラオケをして、僕たちは帰った。帰りは、彼女の親が迎えに来るといったけれど、「僕が送る」といった。そして、僕が乗ってきた自転車に彼女が乗り、僕は隣を走った。30分くらいの距離で、息が切れたけれど、楽しかったのを覚えている。
そして、無事に家に帰り、僕はその週末にポケベルを買い替えた。彼女には「新しい機種に買い替えたんだ」と言って、なくしたことは済んだ。
でも、それから彼女は少しよそよそしくなって。僕はデートでなにか失敗しちゃったんだろうなと思った。ボーリングが下手だったか、あるいは、映画をみるべきだったか。ホットドッグ・プレスでは「女の子の話は聞くこと」と書いていたのに、喋りすぎちゃったのかもしれない。
そして彼女とはもうデートをすることはなかった。
それから20年たって、高校生の時の同窓会が開かれた。二次会で彼女と話をする。
「あの時、デートで俺なにかしたっけ」と。
彼女は目を見開いて言う。
「あの後、『好きだよ』ってポケベルうったのに、返信しなかったのは、カズキくんじゃん」と。
僕はテクノロジーを呪った。ポケベルに既読機能がついていなかったことを呪った。当時にLINEがなかったことを怒った。自分の失われた青春を今更知った。自分をずっと苦しめていた灰色のモヤモヤの正体を知った。
そして、ポケベルはボーリングみたいったな、と思った。ボーリングは、一度、ボールが自分の手から離れてしまえば、それがどうなったかわからない。ガーターだったのか、ストライクなのか、スペアなのか。それと同じで、ポケベルも自分が送った後は、相手に届いたかを確認する方法はないのだ。間違った文字を送っても自分は気づけない。LINEのように既読も確認できない。メールのように送信文もみれない。
みんな今日も「このコースはストライク!」と信じながらボールを投げていたのだ。
余談。こんな経験があったから、今も、デートをした子のLINEが既読にならなかったなら、僕は「あの子は、ボーリング場で携帯を落としたのかもしれないな」と思うようになった。
ポケベルが残してくれたもの
2018年12月に、ポケベルが終了した。1990年代の後半に流行ったサービスで、お互い数字を送り合うことができるものだった。とはいえ、ポケベルは数字を受け取るだけの機能で送ることはできない。だから、僕たちは公衆電話からその番号を送りあった。
ポケベルはたくさんの思い出を僕たちにくれた。それまで、家には家庭の電話しかなかった。友人とコミュニケーションをする時は、そこに電話をするしかなかったのだ。家族がでることもあったし、それにそもそも家にいないとつながらないこともあった。
ポケベルはそんな問題を全部解決してくれた。外にいても受信できるし、「tel」と送れば、「今から電話するので電話でてね」という意味だった。僕たちがお互いに繋がり会えるようになった初めてのサービスだった。
1文字分を送り損なって暗号のようになった文字の羅列、笑顔マークを送れるようになった喜び、タイピング速度に負けない携帯の番号打ち。今では獅子舞やなまはげにもにた文化芸能のように思えるが、当時はそれが最先端だった。ポケベルに求められた「文章を12文字に収めるためのテクニック」に比べると、今の140文字なんて、無限のようだ。
ただ、ポケベルはなくなってしまうけれど、ポケベルの遺伝子は今でも引続がれている。そう、バイブ機能。メッセージが着信すると震えたポケベル。
あれから、PHSになっても、携帯になっても、スマートフォンになってもバイブが僕たちの着信の合図だった。もはや、お尻のポケットはそのバイブに敏感に気づくようになってしまった。あのバイブレーション機能を開発したのは、ポケベルの手柄だろう。
まるで車のエンジニアが、エンジンの音に敏感になるように、僕たちは、あのささやかな震えを手で、お尻で、ポケットでキャッチする。
まるで東京スカイツリーの耐震構造に、奈良の五重塔を感じるように、僕たちはあの震えの中にポケベルを思い出すのだ。
2050年、ついに他人の脳を体験できるように
2018年、Oculus Goが販売された。従来より廉価でVRを体験できるその端末によって、多くの人がVRを体験できるようになった。それによって、家にいながら、旅行を体験できるようになった。ジェットコースターも体験できるようになったし、ゾンビ退治など、現実の世界で体験できないことも、実体験のように感じることができた。身体が不自由な人でも、飛行機がのれない人でも、そんなことを気にせず世界中を飛び回れる。夢のツールだ。こんな事例もある。娘の結婚式がハワイで行われることになったが、寝たきりのためハワイに訪れられないお父さんが、VRを使って、ハワイの娘の結婚式をバーチャル体験することもあった。
しかし、それはまだ視覚と聴覚に臨場体験に限られていた。そして、2019年になり、2020年になると、グローブを装着することで触感もバーチャル体験できるようになった、。VRを通じて、渋谷の109にいるかのように陳列されている服を選び、触り、試着し、買えるようになった。3D対応も行われ、車にも乗り込めるようになった。単身赴任のお父さんが、実家に住む子供をいつでも触れられるようになった。
2030年代になると匂いも体験することができるようになった。VRに装着された匂い合成機が、VRに応じた匂いを発するようになったのだ。2040年代になると舌につけたセンサーが味さえも再現できるようになった。人はVRで、バーチャル五感体験をできるようになった。
人は家にいながら、世界中の町並みをみて、食べ物を食べて、動物とも触れ合うことができるようになった。旅行代理店は大打撃だったけれど、お金をかけずに世界を旅できるというそのエンターテイメントは、不景気の日本人に多く受け入れられた。「引きこもり旅行」という言葉が流行語大賞にもなった。幼い子どもたちを抱える親たちにもそのテクノロジーは受け入れられた。子供たちにとって社会は危険がたくさんだ。事故もあれば、病気もある。あるいは知らない人との遭遇も怖い。そんな時に、このVRテクノロジーで子どもたちを外界に振れさせることができた。
しかし、2040年代になってもまだ実現できていないことがあった。それは「他の人の五感」を体験することだ。それまでのテクノロジーによって、人は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感をバーチャルで楽しめるようになった。しかし、それは「自分の体験」であって、「他の人がどう感じているか」までは再現不可能だった。
しかし、2050年、ついに、そのテクノロジーが実現した。人の脳波をコピーし、自分の脳波にそれを同調させる。それによって人は他の人が、どう感じているかも感じられるようになった。
それは阿鼻叫喚を生んだ。人によって世界の感じ方が全然異なることがわかったのだ。うつ病の人が世界が味気なくみえるように、あるいは子供にとっては世界のすべてが色鮮やかに見えるように、人によって、感じ方は全然違うことがわかった。
「え!他の人の世界はこんなに鮮やかなの」と絶望する人が急増した。VRの世界では幸せな人の幸せな世界を体験することができた。しかし、VRを外すと、そこにはモノクロの辛い現実が待っていた。人の世界では幸せなことでも、自分のリアルな世界では、全く幸せに感じられなかった。
あまりの現実の格差に多くの人が自殺を考えた。こんな辛い現実を生きるくらいなら生まれ変わって幸せな人生を歩みたい。こんな人生いやだ。
その人たちの次の願いはこれだった。「あの世のバーチャル体験できるVRを作ってくれ!」、バーチャル自殺が2050年の流行語になりそうだ。
割り切れない2人 - paymo
Paymoがサービスを終了する。「2人の思い出も終了するのか」と思った。
彼女とは友達の紹介で出会った。5歳年上で、金融の仕事をする彼女。美味しいお店をたくさん知っていた。赤坂の中華、西麻布の寿司、四谷のフレンチ。
高いお店は、彼女がご馳走してくれた。「いつか俺が有名になったらごちそうするからね」といいながら、俺はその分、演劇の練習とアルバイトに励んだ。
安いお店は僕が出した。他にかかった費用はpaymoで割り勘をした。家で作るオムライスの卵代、2回もみたアカデミー賞受賞作の映画、朝食用のクロワッサン。
Paymoではそんな2人の割り勘ツールだった。たくさんの思い出が詰まっている。
別れは突然だった。「ごめん、好きな人ができたの」、そういって彼女は出ていった。「嫌だ」といったけれど、彼女は「ごめんなさい」というだけだった。
そして、僕には、Paymoでも割り切れない思いだけが残った。そして、彼女のpaymoのアカウントもなくなっているのを知った。
きっと、彼とは割り勘をしない仲なんだろうな、と思った。