眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

2019年の抱負は「インターネットを使わない」

さて、信念だし、抱負でも考えるかな。

大げさなのは嫌よね。やっぱり気軽なやつを。絶対するようなことにする?じゃあ「息をちゃんとする」「ご飯食べる」とか?バカいってんじゃないわよ。

「しっかりとご飯食べる」だったらどう?小学校の書き初めじゃないんだから、副詞とか入れてもだめよね。もう少しちゃんとしたことを決めないと。

ツイッターをちゃんとするとか?いやいや、10年遅れてるわね。からの。からの逆にツイッターをしないとか。とかとか。

いやいやいや。私の生きがいのツイッターできないと死ぬかも。ご飯食べるか、ツイッターするかのどっちかにする?アホか。でも面白いかも。

あ、いいこと思いついちゃった。思い切って「インターネット使わない」とか。これなうくない?いけてる。超いけてる。世界見渡してもインターネット使わない人なんて2ミクロンくらいじゃない。アンドロメダ的確率よ。もうこれ決まり。インターネット使わない。

困ることあるかな?まずツイッターできなくて死ぬでしょ。Facebookできなくて死ぬでしょ。ジオシティ更新できなくて死ぬでしょ。つか、ジオシティ3月に終わるったつーの。何より、はてな使えなくて死ぬよね。私抱負で3度死ぬ。かっこE。

まじめに考えると、Amazonは大丈夫でしょ。近所のコクミンドラッグで代替できる。コクミンドラッグなの?ドラックなの?まぁどっちでもいいけど。

やっぱり、連絡が困るよね。何より仕事でメール使ってるし。仕事で使うのはOKルールにしよう。でないと、怒られちゃうから。

他、何が困るかな。あーLINE。LINEねー。LINE困るねー。広告しかこない私のエブリデイだけど、とはいえたまに同窓会の連絡とかくるしなー。同窓会は困らなくても、たまに友達の生存確認できないのはちょっと困るかなー。LINEない頃はみんなどうやってやり取りしてたのよ。あ、電話あるじゃん。電話はセーフ。じゃあ、用事あるやつは電話。あるいは手紙。住所はツイッターに公開しておこう。

目覚ましは?目覚ましはインターネットじゃないから大丈夫よね。

よーし。大丈夫そうだ。じゃあ、この今年の抱負、ツイッターに投稿しよう。って、早速つかってるやんけ

今週のお題「2019年の抱負」

 

 

下書きに残ったメール

下書きに残ったメールを眺める。週に何度かは見返して文章を修正するけれど、まだ「送信」ボタンが押されていないメール。切手をはられてまだ封をされていない手紙のよう。

毎回、見返すたびに「こういう表現がいいな」と書き直す。文章って本当に難しいな、と思う。夜みる文章と朝みる文章は違う。タイピングをしてかじかんだ手を「はー」っと息で温めながら、そんなことを考える。

彼女と会ってから2年以上もたつ。最初は、飲み会の席だった。いわゆる合コン。最初の印象は「キレイな人だな」という印象だった。その場でいろいろな質問をしてその場を盛り上げてくれたのを思い出す。夏のような女性だ、という印象だった。

僕はどちらかといえば冬な人だったから、「合わないかも」と思い、そのまま時が流れた。連絡先も交換しなかった。

再会したのは半年前だ。交流会で、たまたま見かけた。「どこかであったことがあるな」と思って、記憶をたどると「夏の人だ」と思い出した。ちょうど季節も夏だったからかもしれない。彼女も「ああ、あの時の」といってくれたけれど、覚えてくれていたか定かでない。

ただ、仕事のつながりもあるということがわかって、一度、ランチをした。実際に1度、仕事もした。ただ、やりとりは、主にメールだった。せめてLineのやりとりだったら、プライベートの話もできそうなのに、とそんなことを思った。最初にあった時にLINEを交換しておけばよかった、と。一度、メールのやり取りになると、どうもそこからLINEに移るのは難しい。

そんな中、彼女が転職することに決まったのは先月だった。

それから、何度か彼女にメールを送ろうと考えた。「転職祝いに食事はいかがですか」とか。でも、まだ送れずにいた。どうも仕事をした相手に、そんなプライベートな連絡をするのはなぜか気が引けたし、何より会ったのは3回だけだ。メールの回数はそれこそ20往復を超えるけれど。

だから、いつも下書きのまま、そのメールは眠っている。もし、これが手紙だったら黄ばんでいるかもしれないな。

そして、その日も、いつも通り「下書きに保存」を押そうと思った時だった。うっかり「送信」を押してしまった。「あっ」と思った時は遅かった。Gmailは「送信取り消し」の機能がある、と思い、そのボタンを押そうとした時には、もうそのタイミングは過ぎていた。

なんてことだ。

僕は1時間くらい、部屋の椅子の上で放心した。なんでメールだったんだ、と思った。Lineでも送信の取り消しができるのに。メールはもう取り返せない。

せめて送るなら、もっと文章を推敲してから送りたかった。とはいえ、と考えた。今日の修正文章の後でまだ良かったかもしれない。昨日までの文章だと、あからさますぎる。今日のメールでは「お元気ですか」という一文を付け足した。きっと、その一文がある方が良かっただろう。

そうして、一晩眠った。

起きて昨夜のミスを思い返した。気分が滅入りながら携帯の目覚ましを止める。その時、スマホGmailアカウントに未読メールのアイコンがついていることに気づく。

「もしかして」という期待とともにGmailをあける。もう眠気は吹き飛んでいる。

2通あったうちの1つは営業のメールだった。世の中から営業メールはなくなればいいのに。そして、もう1通は彼女からの返信だった。

「新しい職場で楽しんでいます。またご飯いきましょ」という文章とともに。

ガッツポーズをして、布団を抱きしめる。

取り消せないメールって悪くないかもしれない。送ったメッセージを取り消すなんて野暮だ。いった言葉は取り消せないように、メールも取り消さないくらいがいいのかもしれない。

何よりメールは、下書きにできるのがいいな。LINEにはできないもの。

今年の抱負の宛先

年始から、「今年の抱負」をFacebookなんかにアップして。誰も人の抱負なんて興味ないっつーの。抱負を書くくらいなら、自分の手帳にかいておけよ。

コメント欄には、「がんばってください」「いい抱負ですね」とコメントが並ぶ。

そこに取引先の相手の抱負もあがる。少し考えて「接待いいねでもするか」とLikeをおす。

そんなにみんな抱負があるものかね。「今思いついたそれっぽいことを書いてます」大会なんじゃないの。もはや大喜利かもよ

ラソン走るのなんてかってに走ればいいのに。「仕事で新しいことをしたい」って、そんなの会社の目標数字にかいておくことだろ。ソーシャルにかくことかよ。

小学校のころの書き初めを思い出す。それをみた時も同じ感想を抱いたな。「健康第一」「夢と行動」「破顔一笑」なんて、書き初めをみながら「しらないし」と思ったものだ。

あっ。ミチコちゃんも抱負をあげてるじゃない。それはみないと。なになに。

昨年は仕事にあけくれた1年だったと。そうだよなー。食事も2回ほどキャンセルになったもんな。お疲れ様でした。

怪我もしたとか。そういえば、一度、顔に傷テープはってた時もあったかも。ただ、それはそれでかわいかったけどな。

「今年は婚活も頑張りたい」!なんと。まじかよ。そんな重要な情報、ソーシャルに書いちゃう?!

あ、Facebookの投稿の公開範囲が「限定」になってる。さすがミチコちゃん。こういう投稿は会社の人には秘密よねー。さすがわかってる。僕には公開してくれてありがとう。

何人に公開してるのかな。

「1人」。えっ!どういうこと。僕、みれてるんですけど。バグ?

それとも、、、。とりあえずLike!

lineおみくじ

もう幼い頃からの習慣で12日は家族で初詣にいく。車で30分ほどいった山の麓にある寺だ。かれこれ10年以上訪れているけど、そういえばなんのご利益がある神社かもしらないな。Wikipediaで調べればわかるのだろうけど、それで「増毛」とかの神社だったら嫌だもんな。知らぬが仏。寺だけに。

甥っ子たちはおみくじを買う。大吉だの中吉だのを喜ぶ。母親に「これどういう意味」と聞き、母親が「いいことあるってことだよ」と答える。かわいいものだな。「お兄ちゃんもおみくじする?」と聞かれ、「いらない」と答える。あんな原価10円くらいの紙切れに運命を左右されてたまるか。

そんなことを考えながら歩いているとLINEが届く。

大学時代の友人から届いたライン。中身は「LINEおみくじ」。ああ、2019年からLINEが始めたキャンペーンか。特定のスタンプを買うと、ともだちにおみくじを送れるというやつだ。

おみくじになんて気持ちを左右されたくない、と思いつつも、こんな能動的にアグレッシブにおみくじが懐に飛び込んできたら、開けざるを得ない。しかし、デジタルのおみくじって、すごいな。変動原価が0だものな。

少しドキドキしながら、そのおみくじを開くと「凶」と出た。思わず手が震える。気軽におみくじを開いてしまった自分の右手に苛立つし、何よりこんなおみくじを送ってきた友人にも腹が立つ。

昨年末に見かけた酔っぱらいの外国人の写真でも送り返して、友達も年始から不快な気分にしてあげようか。

しかし、こんな年始から友達同士の友情を壊す仕組みをよく思いついたな。こんな手軽に年始から人の気分を害するテクノロジーなんて、LINEおみくじかWindowsブルースクリーンくらいだぜ。

フィクションです(LINEおみくじは実在しますが)

LINEでの挨拶と年賀状の挨拶の違い

新年をすぎると「あけましておめでとうございます」とLINEが飛び交う。

なぜ、この人は私のLINEのアドレスを知っているのに、Facebookメッセンジャーで送ってくるんだろう。あ、Facebookの方がパソコンから送りやすいからか。たくさんの挨拶を送るには、携帯から送るよりもPCから送る方が送りやすい。なんだ。

年賀状を手書きで書いていたころを思い出す。当時は、11枚絵を描くという苦行のようなことをしていた。いつか、プリントゴッコという年賀状の絵柄を複写する機械が生まれ、年賀状の生産性は劇的に改善された。とはいえ、それでも住所を手書きする手間だけでも億劫だった。

それから、パソコンができた。住所でさえもパソコンとプリンターが印刷してくれるようになった。こちらが行うことといえば、一言メッセージだけだ。この時に、もはや年賀状の苦しさは過去のものになったといってもいい。

さらに、それから10年近くを経て、いまは、LINEFacebookメッセンジャーで挨拶が送れる時代になった。その移り変わりの速さはまるで年賀状の産業革命だ。

当時、手書きで年賀状をかいていた頃と比べて、送り合っているものは変わっているのだろうか。115分かけた年賀状と、115秒のスタンプでは送っているものは違うのだろうか。

手書きの方が、なんだか温かみはあるのかもしれない。でも、年賀状が私の家に届くまでの2日間で温度は冷めちゃうな、と思った。

そんな過去の暖かさよりも、今、リアルタイムであなたが私に文字を打っているということの方がよっぽど温かい。

- 何より、住所なんて知られなくないものな。友人にでさえ

囚人が、刑務所の中で一番使いたいインターネットサービスは?

その独房に閉じ込められた囚人たちは時間が余っていた。なんせ労働以外、毎日は同じ日の繰り返しだ。新しい出来事も起こらない。同じ日が、同じ時間が過ぎていく。

ただ、変化もある。話がうまくなっていくのだ。

毎日、同じ話をするにつれ、話術が磨かれる。また、話題の着眼点が研ぎ澄まされる。

たとえば、こういう話だ。ある時は「おとぎ話の中で、一番犯罪をおかしたのは誰か」という自分を重ねた話題。あるいは、「死ぬ時に食べたいものは」といった切実なものまで。

ある日、「もし、刑務所の中でインターネットを使えるとしたら何を使う」という話題がでた。

ある男は答える。「Facebookは嫌だな。連れが楽しく遊んでいるのを見ると気分がめいっちまうよ」

ある男は言う。「流行りのTik tokはいいかもしれない。この独房でも合わせて踊れるし」

ある男は言う。「TwitterでIDで呼ばれるのは、なんか囚人番号みたいで嫌だな」

そして、ある男がいった。「俺はやっぱり、Instagramだよ」

- なんで?あんな美味しそうなものや、楽しそうな場所の写真をみたら、参っちまうよ

「違うんだ。Instagramは、青空が映ってるんだ。俺は空がみたい」

 

2025年、お礼を言わなくなった子供たち

2025年、新聞のある記事が世間を騒がせた。

「お礼を言わない子供たちが急激に増えている」という記事だった。「子供にお礼を言われたか」という定点観測の結果、ここ3年で50%もお礼を言われなくなったということがわかった。

新聞は、いろいろな仮説を検証していた。

- 少子高齢化で、「子供が宝」になっているから、偉そうになっているのだ。だからお礼を言わないのだ

- ゆとり教育のせいだ

- 親の世代がそもそもお礼を言ってないんじゃないか

しかし、その後の研究で、どの仮説も違ったことがわかった。ある国立大学の教授の結果、「あるもの」が家にある子どもはお礼を言わなくなる傾向にあるとわかったのだ。

それは「Alexa」や「Google home」のようなホームスピーカーの有無だった。

ホームスピーカーのある家の親たちは、ホームスピーカーに「OK google, YouTubeをつけて」「アレクサ電気を消して」と、家の作業を代行させていた。

元来、それを人にお願いしたならば、対応してくれたことに「ありがとう」といっていただろう。しかし、アレクサやGoogleホームに「ありがとう」とお礼は言わない。

それを見ていた子供たちは、何かをされてもお礼を言わなくなったのだ。

無人カフェや無人コンビニの普及も「お礼の消滅」に拍車をかけたこともわかった。人がいない場合は、レジでものを買っても「ありがとう」という機会がないのだ。

この研究を受けてGoogleAmazonは「ホームスピーカーに作業をお願いした後はお礼を言うことを推奨する」と述べた