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寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

優しい雨

駅を出ると小雨が降っていた。最近、雨が続く。

でも今日ばかりは、この小雨が気持ち良い。待ち合わせのカフェに向かう途中、過去の思い出が蘇る。

彼と言った旅行、かけてくれた言葉、一緒に作った料理。なぜか別れ際は、良い思い出ばかりを思い出す。もし人間の脳が優れているならば、こんな時は、別れの後押しをしてくれよ、と思う。別れるのに決心が鈍るじゃないか。彼が神経質すぎたところとか、朝が起きれない点とか彼の駄目なところをもっと思い出してくれよ。

小雨が、グレーのパーカーをしっとりと湿らせる。彼の言葉を思い出す。気象庁によると1時間に3ミリ未満の雨は「弱い雨」と定義されているそうだ。それって誰にとっての弱い雨なんだろうな、と思う。私にとっては、この弱い雨が、銀の針のように身体に突降りかかる。そして、その痛みがなぜか気持ち良い。

カフェに入りたくなくて、少し遠回りして、小雨を浴びる。なんだかほてった身体を覚まして欲しい。映画のロストイントランスレーションのパッケージで、雨の中に透明傘をさす女の子が描かれていた。映画ではそのシーンはあったっけな、と考える。帰ってからまた見よう、と思った。

予定より5分遅れて、待ち合わせのカフェに入ると、すでに彼は来ていた。その場での話は一行で説明するとこうだ。

- 私が自分都合で別れを切り出し、彼はそれを了承した

彼を嫌いになったわけではない。何かあったわけではない。ただ、彼のことをこのまま好きでいられるか自信がなくなったのだ。そんな私のわがままを彼は黙って聞いてくれていた。

彼はいくつかの質問をして、そして、最後に「そうか。僕がどう頑張っても続けられないんだね」と質問をした。

私は「そう思う」と答えた。自分らしからぬ歯切れの悪い答えだ。彼は1分くらい黙っていた。そして、「そうか、わかった。ありがとう」と言った。彼は、ありがとうという文脈でなくても「ありがとう」という人だった、とそんなことを思いながら、彼のありがとうを反芻していた。ありがとうを言うのは私の方だよ、と思いながら、私はありがとうを言い出せずにいた。

お会計は、いつものように彼が出してくれた。私がだそうとすると「最後くらいはいいよ」と彼は言った。最後か、と私はあらためてその言葉の違和感を持て余した。

店の外にでると、まだ雨が降っている。少し雨脚は強くなっていた。

彼は傘をさす。いつも彼は傘を持っている。家を出る時には、ヤフーの天気予報をチェックしていた。

彼は黙って、私の頭上に傘をさしてくれていた。私は、彼との距離感を悩みながら、いつもよりは空いたスペースに身体を滑り込まさせた。黙って歩いた。彼は何を考えているんだろうな、と思いながら歩いた。水たまりに気づかず、スニーカーは水浸しになった。

私の方に傘を寄せるせいで、彼のジャケットは濡れていた。彼がお気に入りの青のストライプのジャケットだった。私は濡れても平気だったけれど、彼の優しさも最後だと思うと、なんだかそれに浸りたくて甘えていた。

私が傘を持たなかったせいで、彼はジャケットを濡らした。そして、私のわがままで、彼は1つの恋愛を終えようとしている。この恋愛は、カフェでの彼の「わかった」というセリフで終わったのか、あるいは、これから2人が別々の電車に乗る時点で終わるのか。私にはわからなかった。

昔読んだ小説

まるで世界の細かい雨が世界中の芝生に降っているようなそんな沈黙がつづいた。 

という表現を思い出した。世界の細かい雨が私に降ってくれればいいのに、と思った。

駅につく。別れたいと言ったのは私なのに、駅で別れるのは寂しかった。彼は「この傘をもっていきな」と自分の傘を渡してくれた。大丈夫だよ、と私は言ったけれど、彼は「俺の方が、駅から家が近いから」と言って、渡してくれた。彼は私のせいで、今日、もっと濡れることになる。

彼は、傘を渡すと、「じゃあね。ありがとうね。元気でね」と言った。5秒ほどの沈黙の後、私は「ありがとう」と言った。彼はさっと身を翻し、地下鉄の改札に向かった。

 

私は手に持った彼の傘を見て、返すために、彼にまた会わなきゃなと思った。