雪の中の生足
11月の東京で雪が降った。明治8年以来、初だそうだ。あまりに急な雪にに衣替えを出来ずにうっかり秋のジャケットで家を出ると凍てつく空気が身体を襲った。
- ダウンを出しておくべきだった
と思いながらも人で溢れる電車に乗る。携帯では「電車遅延」のアラートがどんどん飛んでくる。
雪がうれしいのは学生の頃までだよな、と思いながら、どんよりとした顔つきの乗客たちを眺める。雪は滑る。寒い。交通機関が麻痺する。何も良いことがない。美しいというのは、いいことだけど。
目的地について駅から出ると、うっすらと雪が積もっていた。こんな日に革靴は悲劇だな、と思いながらも慎重に歩道を歩く。傘には、みぞれ化した雪が勢いよく降る。
そんな中、前を見ると、「まさか」と思うような格好をした女性が歩いていた。思わず二度見する。
彼女は黒のホットパンツで、生足をこれでもかと露出していた。もっとも上はダウンジャケットを着ていたけれど。
それを見て思ったのは
- かっこいいな
という感想だった。
「こんな寒いのにあんな格好をして」と揶揄するのは簡単だろう。「露出狂か」とツッコむのは易い。
しかし、実際に、「こんなに寒いのに、あんな格好をする」というのは、なかなか根性がいる。信念がないとできないことだ。彼女には、きっと信念があるのだろう。たとえば「冬でも生足でいる」とか、「天候を気にしない」とか。それはそれで、その意思は美しい。
何かの本で読んだことがある。ある暴走族あがりの人が、苦労を重ねながらも車のディーラーの社長になった。一国の主だ。しかし、彼は、暴走族の頃と髪型を変えなかった。金髪でトサカをした髪型を。
そして彼は言う。
- 自分のスタイルを貫くのも楽ではない
つまり、その言葉が意味することはこうだ。きっと、彼はその容姿によって、色々な嬉しくない出来事にあったのだろう。客が逃げたり、取引先から断られたり。確かに金髪でトサカの社長と仕事をするには、なかなか根性がいる。彼がもし黒髪であったら、もっとうまくいっていたことが金髪のためにできなかった。
しかし、それでも彼はそのトサカをおろさなかった。決して楽ではない。しかし、彼にも何かしら信念があったのだろう。痛手をおいながらも自分の信じることを貫く人生。自分の美学を貫く人生。
雪の並木道の生足に、そんなことを思ったのだった。