寝る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます

風の谷のフンザ

昨日の以下の記事の続き

»ユートピア

イスラマバードまでは羽田からカタール航空で向かった。途中でカタールで乗り換えて15時間の旅だ。カタールという響きが既にハワイやバンコクとは一線を画する雰囲気を醸し出している。

イスラマバードには、夜ついたので、そこから宿に泊まる。時差と興奮で眠れないが、とりあえずベッドに潜り込む。なんせ長旅だ。

翌日の朝はやくからからバスに乗る。あまいチャイを飲みながら目を覚ます。バスは、カラコルム・ハイウェイというガードレールのない崖の道をひたすら北上するそうで、転落事故も多い。まぁ、桃源郷を目指すのだからそういうリスクもあるだろう、と思い、気にしないことにする。

しかし、20時間のバス旅は非常に暇である。本を読んでも飽きるし、外の景色もひたすら山だし。仕方なく音楽を聞くがバッテリーもなくなる。寝て、考え事をする。桃源郷を想像して。標高2000メートルの山々をひたすらバスは走り続ける。

「KARIMABAD」という看板に気づいたのは朝だった。「ああ、これがフンザか」と思い、外を見渡すがまだ薄暗い。「あれ、桃源郷なの?」と思い、バスを降りて最初に感じたのは「寒い」という感情だった。

カフェに入り、チャイを飲みながら、朝になるのを待つ。ゆっくりと出て来る朝日。その朝日の光に照らされたフンザは、荘厳だった。青い空に白い峰。その下にはアプリコットとアーモンドの花が咲き乱れている。穏やかで静かな空気がしっとりと流れている。

そんなフンザの空気を吸い込みながら、フンザに2泊、滞在した。

人は穏やかで素朴で暖かい。町は何もないが、自然があり、畑があり、ヤギがいた。朝日があって、夕日があった。楽器を演奏する子どもたちがいて、洗濯を干す女性たちがいた。満点の星空があり、澄み切った空気があった。

ああ、ユートピアというのは、こういうことなのかもしれない、と思った。

人にとって、このような穏やかな風景は、自分のいつかの郷愁を思い起こさせる原風景なのかもしれない。自分の小学校の頃に夢中だった山遊びや子供の頃の夏の日差し、冬の朝の匂いなどがここにはあった。メランコリックでセンチメンタルな匂いだった。

仕事の嫌なことも、人間関係も全部どうでもよくなった。この神々しい風景の前には、そんなことはすべて些細なこととなった。どうして、こんなに空が青いのに請求書1枚でグダグダしなくちゃいけないんだ。

ある時、気づけば、夕日を見ながら涙をしている私がいた。夕日が私の琴線をしっとり照らした。

ユートピアは自分の中にある、なんてベタなことはいいたくない。

ただ、ユートピアとは、語源の「どこにもない場所」ということなんだ。つまり、自分が過ぎてきた過去。忘れてきた昔が、自分のユートピアなんだ。もう今はない。決して戻れない場所。それがユートピアなんだ。

それに気づかせてくれたのが、このフンザの風景であり空気であり、匂いだった。

もう戻れないけれど、戻れなくなった風景を思い出させてくれるのがフンザだった。