大人は秘密を守る
椎名林檎が作詞作曲した最新曲に「おとなの掟」という歌がある。ドラマカルテットの主題歌となっている歌で、歌うのは、ドラマの演者さんたちだ。
その最後のフレーズは
おとなは秘密を守る
というものである。
- そうだよなぁ
と強く同意してしまう。大人は秘密を守るのである。
逆に言えば、子供のころは秘密は守らなかった。守れなかった。つい誰かに言ってしまっていた。それは「タカシの好きな子、あかねちゃんだって」といった友達の恋愛事情や「うちの家に貯金はないんだって」といった家庭の事情まで。「ここだけの話だよ」という条件の元に、子供はそれを言ってもいいと解釈していた。
その秘密を言うことによって注目を浴びるという承認欲求に端を発しているのだろう。あるいは、秘密を共有することによる共同体のグルーミング効果もあっただろう。秘密を共有する者同士は仲良くなるのだ。犯罪者同士が仲が良いのと同じで。
そもそも、子供は秘密を守っておくほどの度量がなかった。秘密を黙っておくというのは精神力が求められる。子供のキャパはそんなに大きくない。そうして、子供は秘密をばらまいていた。「世界に言わなければ少しはいっていい」という独自の解釈で秘密をばらまいていた。
大人になると違う。大人になると秘密の濃さもましていく。増すにつれ、それを漏らした時のリスクが大きくなり、黙っておくようになる。
そうして、大人は秘密を少しづつ守れるようになる。
でも、そんなにみな秘密が守れるなら、世の中、週刊誌は売れていない。秘密を持っておくというのは辛い。人は人に言いたくなる。そうして、子供の頃と同じように「ここだけの話ね」という呪文の元に秘密は公開される。とはいえ、子供のように、ストレートには言わない。相手も選ぶ。大人の解釈では、それは「秘密を守る」の範囲内だ。
いずれにせよ大人にとっても秘密は厄介だ。
僕は、口が固いと思われているのか、人から秘密を告白される。不倫の話や人の悪口、あるいは、犯罪の話まで。教会の牧師さんのように僕は黙ってその話を聞く。何もアドバイスしないし、何も反論しない。ただ、黙って話を聞く。そして、人は話をしたことに満足して次に向かう。
僕だけが秘密をどんどん抱えることになる。壺に石を投げ込まれるように、僕の心の壺には消化できない石がどんどんたまる。時には石のせいで、壺に入った水がこぼれていく。でも、僕はその秘密は誰にも言わない。なぜなら大人だからだ。
その分、こうやって匿名のブログに秘密をちょびっとだけ書く。秘密の再加工だ。そうして、秘密は秘密じゃなくなり、小話になって街を歩く。静寂が終わりを必要とするように、秘密も開放を必要とする。まるでエントロピーの法則のように。
大人は秘密を守るけれど、その分、葦は必要だ。王様の耳はロバの耳って叫ぶための。
そうやって、大人は秘密を守る。