眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

龍泉刃物

父が僕によく言っていた。「良い包丁だけは持つな」と。

理由を聞いても教えてくれなかった。その割には、家に貝印の良い包丁が使われていた。母はその包丁でトマトをきれいに切って、サラダにもりつけをしてくれていた。子供ながらに「トマトってあんなによく切れるんだ」と思ったものだ。

それから年月が経ち、僕は、東京の大学に行くことになる。地元を離れて一人暮らしをする。家具を買い揃える。食器も買い揃える。

父の言い伝えを守って、包丁はいいものを買わなかった。近所の100均で買った包丁だった。母はそれに対して何も言うかと思ったけれど、何も言わなかった。母は、包丁が好きだったんじゃないのか。

それから何度か引越をしたけれど、包丁は買い替えなかった。刃こぼれをし、切れなくなり、魚もさばけず、うちで料理をする女性たちは不平を言った。包丁研ぎで研ぐくらいはしたけれど、包丁を買うことはなかった。

しかし、引越も4回目をすぎる頃、当時の彼女がプレゼントにくれたのが、ナイフだった。龍泉刃物というナイフでダマスカス鋼という素材で使われたデザインは、独特の縞模様が浮き出ており、とても美しかった。名前の由来は、ダマスカスで刀剣などにも利用されていた素材だからだそうで、つまりはよく切れるナイフだった。数万円もするナイフで数ヶ月待ちの一品だとか。

父親の言葉を思い出したけれど「これは包丁ではないな」という解釈のもと、そのナイフは台所にしまわれた。ただ、ステーキを食べない僕はそのナイフの使いどころがわからず、しまわれたままになっていた。

そのナイフが使われたのは、それから1年後のことだった。

僕も浮気は、簡単にバレた。LINEを見られたからだった。彼女はゆっくりと立ち上がり、台所からそのナイフを取り出し、僕の肝臓あたりに突き立てた。

親の言葉の偉大さを思い出すと共に「包丁だけじゃなく良いナイフも禁止してほしかった」と薄れ行く意識の中で思った。