ホテルのバーへ行け
私が、ニューヨークに一週間の旅行をしていた時の話だ。
その時に、日本人のミチヨさんという方と出会った。同じ宿の部屋だったのだ。ダブルベッドが2個あるシンプルな部屋。いわゆるドミトリー。そこで私はミチヨさんと出会った。
カールスバーグを共用部のテラスで飲みながらいろんな話をした。私は大学生で、彼女は、多分40歳くらいだろうか。でも、宝石の買付けにきているというミチヨさんは、仕事柄か衣装やメイクも派手で、あまり40歳には見えなかった。髪型なんて黄色だった。マルボロを美味しそうに吸っていた。それなりに年の差はあったけれど、かわいがってもらった。
私は進路に悩んでいた。就職活動がうまくいかず、就職浪人をしようとしていた頃だ。何もかもが嫌になって、日本を飛び出してニューヨークにきていた。突発的な行動だった。ニューヨークには何かあるに違いない、と思ってでてきたけれど、実際にあるのは、美味しいベーグルとミュージカルくらい。私の疲弊した心を落ち着かせるものには出会わなかった。私はあらゆるものから逃げ出したくなっていた。
ミチヨさんに、そんな泣き言をテラスで話をした。そんな私にミチヨさんは言った。
「そんな時は、とりあえずホテルのバーに行きなさい」と。
そして、彼女は言う。1晩いれば、2〜3人は声をかけてくる。その中で、自分が魅力的だと思った人と会話をしなさい、と。
「そうすると、生きなきゃ、と思うから」
その時に、私は、「はぁ」と答えた。私にその意味はわからなかったからだ。私はホテルのバーで飲んだことはなかったし、そもそも知らない人とそうやって話をしたこともなかった。そんな私にミチヨさんの話は遠い世界の寓話のようにしか聞こえなかったのだ。そんなことを私が挑戦するとさえも思わなかった。だから、私はミチコさんの質問を深掘りすることをせず、その意図も理解していなかった。
でも帰国してから1ヶ月。相変わらず何もかもにやさぐれていた私は、ミチコさんの言葉を思い出す。そして、その言葉だけを頼りにホテルのバーにいく。
何もわからずに、何も想像せずに。ただ金髪のミチヨさんがマルボロの煙を吐きながら言った言葉を信じて。
結果的に、たしかに何人かの男性には声をかけられたし、思ったよりスムーズに私は、その人達と話をすることができた。そして、いろんなことがあった。ホテルのバーでの出会いはいろいろなものを生んだ。想像しているよりもそれは大きなうねりだった。そして、今、ミチヨさんが言うように、私は、それなりの紆余曲折を経て、まだ生きている。
ミチコさんの言わんとしたことが、今は少しは理解できる。
多分、わたしたちは打たれ弱い。人間関係や仕事の失敗ですぐにへこむ。気分がふさいでしまう。
しかし、その人間である私達は、生き物だ。生き物である以上、遺伝子を残したいという欲求は想像する以上に強い。普段は表に出てこないけれど。バーの会話は、その遺伝子を活性化させる力があるのだ。
そして、その力が表にでた時は、ちょっとした失敗やめんどくさい日常のことなんて吹っ飛んでいくのだ。だって、種を残すために、そんなことで塞いではいられない。その時は、私は自分が動物だということを理解する。
ミチコさんと飲んだカールスバーグはそのバーで飲めないのが残念だけれど、いつか、ミチコさんとこの話をカールスバーグを飲みながらしたいな、と思う。
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友人の話を許可を得た上、脚色してネタ元にさせてもらいました。