hang in there
誰しも生きているとしょぼんとする時がある。
仕事で失敗した時や、好きな子からの約束が破られた時、あるいはお金をなくした時。あるいは、全部がいっせいに起こった時。
「なにやってんだろう」とつぶやく。「どうしてこんなことが起こるんだろう」と思う。「今は世界が敵だな」と思う
ただ、行動経済学的には、それらは確率の話で整理できる。「悪いこと」というのが毎日10%の確率で起こり、「とても悪いこと」というのが5%の確率で起こる時、200日の1度は「悪いこと」と「とても悪いこと」が起こることになる。すなわち、1年に2度は、そんな日があるのだ。そして、人は「悪かったこと」を記憶するので「悪いことが重なった日」だけを記憶に残る。残りの「悪かったことが1回しか起こらなかったこと」は、日常に忘れてしまうのだ。だから、人は「悪いことが続くな」とだけ、記憶している。
だから、辛い時は、「ああ、確率的に今が、たまたま悪いことが重なってしまった」と考えるのが良い。たまたまなのだ。何かに呪われているわけではないし、何か運が悪いわけではない。
あなたがそこで凹むと、そこから悪いことが続く。たとえば体調が悪い時に無理に出社するとミスを誘発するように、悪いな、と思った時は気分や状況を変えるのが重要なのだ。
こういう話がある。
賭博で生じる負けの半分以上は「もうだめだ」と思った時から生じるのである。つまり「もうだめだ」と思った時点で、集中力が途切れたり、気合が途切れ、それによって、そこから負けを呼び込んでしまう。
そういう時に求められるのは、気分を切り替えて「さ、頑張るぞ」と0の精神で立ち向かうことなのだ。
同じ経験が私にだってある。為替トレードをしていて、大きく負けた。そして「あー、これはダメだ」と普通ならしない場所での損切りをしてしまう。それによって、さらなる損失を産んでしまう。あるいは、意地になってナンピン買いをしてしまい、負けを膨らませてしまう。普段ならしない動き方をしてしまって。つまり、私が安定した状況だったらしなかった手を出してしまった。それによって、負けがさらに生まれる。こういうことだ
村上春樹のノルウェイの森にこのような文章がかかれていた。主人公が具合が悪くて遠くで入院をする女性に手紙をかく。大学生の主人公は何もない日常をおもしろおかしくかく。何も起こってないのに。そして、主人公は書くのだ。「何もない日常だけれど、このように書くと素晴らしい日々のように思えた」と。
この考え方から学ばしてもらおう。
何か失敗した時は、それを俯瞰してしまえばいい。物語の起承転結の転だ。物語には失敗やトラブルは欠かせない。そこからのリカバリーにカタルシスがあり、人はそこでリフッシュするのだ。そのように自分の失敗やトラブルを喜劇に変えてしまえば良い。
スティーブジョブスのスタンフォード大学での素晴らしいスピーチがある。
そこで彼は自分の会社を追い出されるエピソードをする。そして彼は表現するのだ。
Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith.
- 時に人はレンガで頭を殴られたかのような経験をする。けれども、信じるものを忘れてはだめだ
自分の会社を追い出されたことのある人の言葉はなかなか深い。レンガで頭を殴られても、自分を忘れてはいけないのだ。レンガだ、レンガ。レンガで殴られることなんて人生でそうそうない。それでも、あなたは信じるものを信じ続けないといけない。
それは好きなことであったり、自分の生き方であったり、あるいは日常であったり、あなた自身を。
荒波の中に自分が一人、逆風に向かって立つシーンを思うかべる。そんなときに思い浮かぶのはこの言葉だ。
hang in there
日本語だと「頑張れ」と訳されることも多い言葉だが、英語の単語を見ると少し異なる。「そこにつかまっておけ」なのだ。すなわち、あなたが大変なことで凹んだり、「もうあかん」と言いそうな時こそ、「だめだ。そこで踏ん張れ。耐え抜け。持ちこたえろ」という言葉が求められる。それが「hang in there」なのだ。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」の表現でいえば「踊り続けろ。音楽が止まってもステップを止めるな」なのだ。レンガで殴られても、信念を忘れるな、なのだ。
と、自分にレンガで叩かれたようなことが起こったので、それを昇華するために書いた記事でした。Hey everybody, hang in there!