嘘の代償
「男ともだち」という小説でこのようなエピソードがある。嘘をついた日の帰りは果物を買いたくなる、という話だ。
人は生きていれば大なり小なり嘘をつく。「友達と飲んでた」「ごめん、いま起きた」「道が混んでて」「ごめん。明日リスケさせてもらえない?仕事入った」。
時には、相手が「嘘だ」とわかると思ったとしても嘘をつかないといけない場面もある。人は時にそれを必要な嘘、というし、あるいは、「良い嘘」とも言う。
しかし、嘘は気づかぬうちに人を蝕んでいく。嘘は、自分の体に1つ鍵をかけるということだ。そして、キーを忘れると嘘が体から出てしまう。
- あれ、先週は仕事っていってなかった?
- その時間は、あなた、Facebookでオンラインになってたじゃん
- お金、手術代にいるっていってたよね
だから、1つ嘘をつく度に、あなたはキーを1つづつ増やしていく。どんどん重くなる鍵の重み。
女がキッチンでお茶を入れながら言う。
- あなた、昨日は会社の飲み会っていってたよね。玲子が、渋谷であなたを見たっていってるんだけど
男はテレビを見ながら考える。テレビのシーンは頭に入ってこない。冷たい汗が背中を流れる。閃光が頭の中を照らし出し、真っ暗な闇が訪れた後に腹をくくる。
- いや。銀座で会社の人と飲んでいたよ
無意識に、手をつよく握っている。女がお茶を入れる音が聞こえる。そして、訪れる静寂。
- そう
女は言う。お茶をもって、机の上におく。男はテレビから目を離さない。女の方をみようとするが見れない。女も男の顔は見ない。
男は思う。昨日は、別の女と会っていたことに嘘をつき、今日は、いっていなかったと嘘をついた。利子がついたように2つに増えた嘘の重みを男は肩に感じる。肩のこわばりを感じる。
いつかまたこの鍵をさらに宝箱に入れて、宝箱のマトリョーシカができる。男は、全部を言いたくなる。「ああ、俺は昨日、渋谷にいたよ。昔の同級生の女と飲んで、道玄坂にいったよ」と。そこで「何もなかったよ」と嘘を重ねることも考える。目の奥が痛い。
男はすべてを言いたくなるが、言えない自分を理解している。テレビから笑い声が聞こえる。男の耳には入らない。女の耳にも入らない。
- そう
という女の声が男の頭で響き渡る。まるでごみ回収車に投げ込まれたゴミの音のように、悲しげで乾いた音のようだ。