眠る前に読む小話

寝る前に1分ほどで読める小話です(フィクションとノンフィクションまぜこぜです。最近テクノロジーをテーマにしたものに凝ってます)。読者になっていただけると欣喜雀躍喜びます あとスターも励みになります!

to U

彼女と別れた理由は何だったのか。うまく思い出せないのは、「これ」という理由が明確にはなかったからだろう。

2年付き合うと、お互い倦怠感もでてくる。仕事で疲れている時はギスギスする。たまには喧嘩もする。かたや少し気になる人ができた。そうして、お互い会う頻度が減っていき、いつしか別れにたどり着く。それはまるで浜辺の砂の城のようで。何度か波がきている間に、気づけば砂は海にさらわれていく。知らない間に城が消えている。そんなふうに恋愛が終わる。

だからこそ、こうやって久しぶり会っても楽しく話ができるのだろう。お互い喧嘩で別れたのでもないから、友達のように再会ができる。

久しぶりの食事。その後に「二軒目に行く」とならずにカラオケになったのはお酒の飲めない2人らしい。そうだ、彼女も飲めなかったんだ、ということを改めて思い出す。5年も離れていると、なんだか付き合っていた頃が夢のようだ。ほんとにこの女の子と付き合ってたんだっけ。

カラオケで懐かしい歌を歌い合う。当時、付き合っていた頃も暇な時はカラオケに行っていたな、と。

2時間も過ぎ、そろそろ楽しい時間も終わりとなる。

「最後、好きな歌を歌おうっと」

そうやって彼女が入れたのが、Salyuのto Uだった。

イントロが流れはじめて鳥肌がたつ。この歌は彼女と分かれて知った歌だった。そして、自分もとても好きな曲だった。

その歌を昔の恋人が気持ちよく歌っている。その横顔がとても美しくて。

この曲を最後に選んだ彼女のセンスにとてもうれしくなった。そして、愛おしくなった。僕はやっぱり彼女と3年付き合ってたんだ、と実感する。同じ趣味を持っていたんだ。

僕はなぜこの彼女と分かれてしまったんだろう。

雨の匂いも風の匂いもあの頃とは違ってるけど、この胸に住むあなたは今でも教えてくれる

懐かしい歌声。胸に染み込む。こんな歌声をしてたんだ、と、その声の感触を楽しむ。

とても気持ちよさそうな声。

僕はなぜこの彼女と分かれてしまったんだろう。

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今週のお題「カラオケの十八番」でした

遅れる時計

インターネットのサービスを使う時に、「IDを決めてください」と言われる時がある。たとえば、「taro218」みたいなものだ。

そんな時に、ふと思い浮かぶ単語が「tokei(時計)」というキーワードだ。自分自身、時計にそこまで関心はないので「なぜ時計という単語が思い浮かぶんだろうな」と思っていた。

最近はとうとう夢にまで時計が出てきた。僕は時計に追いかけられている。あるいは、時計は何かを訴えかけてきている。

自分に何かを伝えようとしている時計を考える。それって何の時計だ?自分が身につけている時計は30歳の時に買った時計だけれど、こいつとは四六時中一緒にいるから、何かを訴えているとは思わない。

その前までつけていた時計だろうか。ただ、その時計も引き出しをみると、ちゃんとお利口にしている。

その時計は就職するために買った時計だ。大学四年生の時に買った時計。その前の時計は何だったっけな。

あ!っと思い出した。その前につけていた時は、まだ時計屋さんだ。時計屋さんに預けたままだ。

大学生の頃につけていたポールスミスの時計だった。革のベルトの。ある時から針の進みが遅くなり、1日で1時間ずれるようになった。でも当時は「電池を入れ替える」という発想がなかったから、毎朝、時計を1時間ずらして過ごしていた。どんどんずれていくのに、それを毎日1時間、巻き直していた。

普段はあまり時計を使わないからそれでも問題なかった。何より、大学生はそんなに精確な時間を知らなくても生きていける。

ある時、「電池かえると時計は復活する」という革新的なアイデアを聞いて、僕は電池を替えようと試みた。しかし時計の電池をどう変えるかわからない。大学生にとって時計は消耗品だったのだ。

そして、僕は助けを求めて時計屋さんに持ち込んだんだった。そのまま、預けたのさえも忘れてしまって、僕は「就職するから新しいのを買おう」と新しいものを買ったのだった。

あの時計は、まだあるだろうか。

その翌週末、僕はその時計屋の前にたっていた。しかし、残念なことに、その時計屋はもうなくなっていた。いまは携帯で時間をみる時代。時計の事業は儲からないのだろう。

僕を呼んでいた時計は、その時計だったのだろうか。

あ、と記憶は繋がる。もう1つ、僕が忘れている時計があった。

それはある駅前の時計台の時計だった。

そこで僕は当時付き合っていた彼女と待ち合わせをしていた。「時計台の前で」といういつもの約束だった。

僕が時計屋に忘れた時計も彼女が誕生日にプレゼントしてくれた時計だった。

ある時の時計台での待ち合わせに僕は遅刻をした。僕は時間どおりについたつもりだったのだけれど、僕の時計はポンコツだった。その時も彼女からもらった時間が遅れる時計を付けていた。

彼女は映画かなにかを見たかった。でも、僕が遅れたから、その時間に間に合わなかった。そして、2人は喧嘩した。お互い、不満が溜まっていたのだろう。その喧嘩がきっかけに新しい喧嘩を呼び、喧嘩の日々が続き、そして別れた。

久しぶりに彼女に会いたくなった。元気しているだろうか。

そうして、僕は彼女と再会して、10年以上の時を経て、再び付き合うことになった。時計が呼んでいると思ったのは、きっと彼女が呼んでいたのかもしれない。

「ずっと連絡を待ってたのに」と彼女が言う。僕の時間は彼女よりもいつも遅れている。連絡が遅れてごめんよ。

呪いの言葉

世の中には、呪いの言葉がある。

その言葉を言われると、人は動きが止まるという言葉だ。言われた方は、その言葉に苦しみ、寝る前に思い出し、あるいはシャワーに入っている時に思い出し、ひどく憂鬱になる。その言葉は時には数十年に渡って、人を苦しめるだろう。

そんな人の長期的に苦しめる呪い。

それが「あなたと出会わなければよかった」という言葉である。

人は誰しも出会い、時には喧嘩をし、そしてまた別の道を歩いて行く。それを人は「うまくいかなかった恋」や「すれ違いの青春」、あるいは「過去の思い出」と表現する。そうして、人は時には過ちとも呼ばれる過去を抱きしめながら前に進む。

しかし、それを否定するのが「会わなければよかった」という言葉なのだ。その時間を価値に変えることなく、否定されてしまう。

これを言われて、平気な人はいないだろう。自分の存在価値を全否定されることになるのだから。そして、相手への罪悪感さえも被せてしまう言葉なのだから。

そんな呪いを解くには1つの信念しかない。

「あなたに会わなければよかった」という人への罪を背負いながら生きていくしかない。その人への贖罪は何もできない。ただ、罪を背負い前に進む。

そして、「あなたに会えてよかった」と思ってもらえるような新たな出会いをひたすら繰り返すことだ。

僕らの高層マンション7日間戦争

空前絶後の高層マンションブームである。

先日は、「砂の塔〜知りすぎた隣人」という高層マンションを舞台にしたドラマが放送された。また湾岸エリアの高層マンションの値段もピークを迎えている(少し下り坂だけど)。

今日は、そのような高層マンションで起きたある争いを紹介したい。

舞台は湾岸エリアの42階建のWという高層マンション。地域のランドマークタワーで1000を超える世帯が住んでいるメガマンションだ。

このマンションの争いのきっかけは2種類のエレベーターだった。1つは高層階用、もう1つは低層階用。つまり高い階の人と低い階の人が使うエレベータとしてわけられていた。考え方としてはおかしくない。どのオフィスビルにもある仕様だ。

しかし、その分け方が、いつしかマンション住人たちの意識さえも分けた。高層階の人たちは低層階に対して、「俺たちはお前たちより高い場所に住んでいるんだ。値段も、高さも」という意識になり、いつしか低層階の人たちを見下すようになった。

「あら、低層階さん」という蔑称まで出てきたほどだ。ママさんつながりも高層階と低層階で分かれ、管理組合も、まるで常任理事国非常任理事国のような差があった。

きっかけはある日のことだった。

低層階に住む女の子が「お前は低層階だから、仲間に入れない」と、高層階の子供たちにいじめられた。同じマンションゆえに、小学校も一緒だったのだ。高層階の人だからといって全員が私立に入れるわけではない。ラテン橋というマンション近くの橋で起こった出来事だった。

しかし、そのいじめられた低層階の子の親が、イスラエルの諜報機関「モサド」で経験を積んだ勇姿であった。子供をいじめられたその親は激怒した。

そして低層階の人たちを集めた。同じように低層階の人たちは高層階の人たちに不満を持っていたのだ。求心力は強かった。その事件から一週間後、低層階の人たちは高層階の人たちに宣戦布告した。

「低い場所に住んでいても、人権の差はない」というビジョンを打ち出した。「低層階の方が地震がきた時に安全。火事になった時も早く逃げられる」と低層階の利点を打ち出し、「低いは早い」というスローガンを掲げた。戦争の火蓋が切って落とされた。

ある時、高層階にだけゴキブリが異常発生する事件が起きた。それは低層階の人の嫌がらせだと考えられた。しかし、「どうやって実現した」かわからなかった。高層階の人たちは悩んだ。なぜなら高層階のエレベーターで止まる階を押すには鍵が必要だ。低層階の人たちは鍵がないのに、どうやって高層階に登ったのか?

謎は防犯カメラが捉えた。犯人は、高層階に降りてゴキブリをばらまいたのではなく、高層階用のエレベーターにゴキブリの卵をばらまいたのだ。その結果、高層階にだけ、ゴキブリが異常繁殖することになった。

迎撃戦として高層階の人たちが始めたのは、上層階からの水掛けだった。重力という力を手に入れた高層階の人たちは、上の階から水をこぼし、低層階の人たちのベランダをびしょ濡れにした。

それに対して、低層階の人たちはドローンを駆使した。ドローンで上層階のベランダを撮影し、それらをマンション内にばらまいた。高層階の人たちは、まさか30階で外から覗かれるなんて思っていないから、裸や痴態を晒すことになった。

高層階の人は「いい景色」という高層階からの眺めをInstagramに投稿し続け、低層階の人たちをメンタルから攻撃した。

低層階の人たちは、科学の力を使い、ベランダで魚を焼いて「サンマの煙攻撃」を高層階の人たちに仕掛けた。

このようにして、Wの高層階、低層階戦争は2年に及んだ。

2年後、高層階と低層階の講和条約を実現したのは一体何だったのか。それはジャンヌ・ダルクでも、飢饉でもなかった。

それは、向かいに建築されることになった高層ビルのせいだった。

Wに住む人たちは、高層階と低層階が協力してマンションの価値をあげないと新しいビルに価値を奪われる可能性があった。マンションの価値を維持しなくては、というのが高層階と低層階の共通する見解だった。

こうして、Wの2年に及んだ高層/低層戦争は終わった。そして、高層階と低層階が一緒にBBQをするというマーティン・ルーサー・キングが望んだ世界が実現した。我々はそれを未来と呼んでいる。

か弱きもの、そなたの名前は花粉症

この世には2種類の人間がいる。

花粉症の者と花粉症でない者だ。

花粉症である者は、前世で不徳をしたかのような責め苦をこの世で味わうことになる。目のかゆみ、くしゃみ、止まらない鼻水。まるでボブスレーのように滑り続ける鼻水。鼻水のウイニングランは昼夜止まらない。ガラスの10代のように駆け巡る鼻水。それを拭き殴るティッシュ。まるで親の敵のように拭き取るティッシュ。それによりえぐられる鼻の下の皮膚。炎症、皮のめくれ、ただれ。嗚呼絶望。

花粉症とは、もはや現代病という表現では生ぬるい。現代の七難八苦の1つとでも表スべきものだろう。生まれいづる悩みといっても良い。

彼らがどれだけ日本の国力を削いでいるか。円高よりも大きな痛手である。

「鼻をとって洗えないかな」と毎日多くの人が望む。ドラえもんの道具でさえも実現できなかった積年の願い。それはもはや人類の希求であろう。Drive your dreamは、その夢を実現するためのフレーズであろう。「鼻が洗える車」が発売されたら売れまくるに違いない。21世紀を素晴らしい世紀にするのは花粉症を直す薬になるだろう。

花粉症ではないだけで、花粉症の人よりも人生は3倍くらい楽しい。花粉症でない人はナチュラルボーンラッキーである。履歴書に「私は花粉症ではないです」とPRしても良いだろう。それだけ花粉症でない人は恵まれている。ヘミングウェイが「持つものと持たざるもの」といったのは花粉症のことだったのだ。

花粉症の人は花粉症というだけで春を怨嗟する。

とはいえ、花粉症の人にも1つだけ良いことがある。それは花粉症の人同士で慰めあえることだ。

か弱きもの、そなたの名前は花粉症。

できる経営者は去勢する

「Aの社長って、絶対に電車を乗らないんだって。なぜか知ってる?」

- 忙しいからじゃないの?

「それもあるかもしれないけど、忙しくなくても絶対電車は乗らないの。なぜかというと、電車に乗ると、競合に痴漢の冤罪などを仕組まれる恐れがあるからなんだって」

- なるほどね。仕掛け人が、その社長の横に立って「触られました!」って言えばいいからね。それが事実でなくても「疑いはかけられた」ということになるし。

似た話で、Bの社長は絶対に信号無視や信号のないところで道は渡らないって聞いたな。あとタクシーに乗る時は後部座席でも絶対にシートベルトするとか。いつどこで事故が起こるかわからないから。双日の副社長とかも事故だったしね。

「社長になると全社員の人生預かるからね。それくらい注意深くなった方がいいのかもね。」

- でもさ、その割には、よく色恋沙汰で揉めたりしてるよね。秘書と結婚したり、愛人のための子会社作ったり。

「隠し子がいたり、不倫されたって言われたり」

- 事故には気をつけるくせに、女性関係には脇が甘いよね。

やっぱり男女関係ってさ、リスクが高いんだよ。仕事だとインフルエンザのリスクを避けるためにはテレビ会議とかもできるけど、性行為はテレビ会議でできないじゃん。あとベッドの上は油断してるし。外交官の世界でも、『ハニートラップ研修』って実際にあるらしいよ

「じゃあ、恋愛に興味のない社長だったら安全だね」

-去勢するとか?

「昔の中国の宦官みたいに?いいかもね。うちの社長も女癖悪いし、今度の経営会議で提案しようよ。株価もあがる」

〜実際にその案は経営会議を可決し、社長は去勢することになった。

そして、その社長が『できる社長は去勢する』という本を出して、世の中は社長の去勢ブームになった。

しかし、その結果、去勢をした会社の業績は著しく悪化することになった。

なぜか?

結局、経営者のモチベーションは女性にモテることだったのだ。その目的がなくなった社長は抜け殻のようになったとさ。ちゃんちゃん。

男は知らない

男は、こう思っている。

女は電車に座る時に、自然と足を閉じるものだって。

馬鹿でしょ。そんなわけないでしょ。力を入れて意識して閉じてるんです。ぐだーっと男が足を広げるのが自然なように、女性だって力を抜けばそうなるんです。同じ人間なんだから当然でしょう。

床に座る時もそう。お姉さん座りだって足が痛いし。本来は、あぐらの方が気楽だし。

ほんっとに男は女性の努力を知らない。

デートに行く時も「飯代を男がおごるのは不公平だ」っていうけれど、女性がそのデートにいくために費やしてる費用を知らない。

服だって男性よりも持ってるし、エステに行ってるし、メイクには時間もお金もかけている。それだけで食事代をオーバーしそう。むしろエステ代を請求したいくらいよ。

男性はそのことを知らない。

ハイヒールで足が痛いことも知らないし、寝る前にメイクを落としてからじゃないとねれない苦痛を知らない。眠い時にお風呂上がりの髪の毛のドライヤーがどれだけめんどくさいことか。ベッドの中ではおならをしないといけないし。

移動の時のカバンは重いし、トイレでいつも化粧直しをしていることを男は知らない。

もっとも、男が一番知らないのは、メイクを落とした時の私の素顔だけど。